本能を操る「もう一人のボク」の作り方

人間の持つ理性と本能に関する前提と、本能(感情)に負け続けないよう、上手く付き合っていく方法についての雑考

人間は物であっても体験であっても、何かに価値を感じると、それを得ようと行動する。
そしてその行動に対して、後付けで理由を考える。

行動する前は
「〇〇だから■■しなきゃ」

行動の後は
「こうしたのは××だったから」
「◇◇だから●●したのは間違ってない」
とか。

感情で動いた自分を理性が正当化する。
これは良いか悪いかっていう問題じゃなくて。

"人間は思っているよりも獣"だってこと。

欲求を満たそうとして感情で動き、本能で動き。

その行動の前後にかけて自分の行動を正当化する。
そういう生き物。

人間は理性によって動く"崇高なイキモノ"では全くない。
人間は本能とか感情っていうものを核にして、それに理性っていう被せものをして動く"獣"。
ちょっと頭が働いて、ちょっと言葉が話せる、ただの動物。
これが僕ら人間。

それを前提にするなら、"人間は本能でしか動かないし、動けない"


じゃあ、理性って何なんだろう。

理性っていうのはたぶん"方向付ける力"
本能(感情)で動こうとする力を「こうした方がいいよ」、「こうすべきじゃないの?」っていうふうに、本来求めていたはずの方向に修正したり、進むべきじゃない方向へ行かないよう、抑える力。
例えば目の前の欲求を満たすものよりも、遠くにあるもっと大きく欲求を満たせるものに方向を定めるように。
または、目の前の欲求を満たしてしまうことで起こる、未来の損失を避けるように。

理性は力としてはそんなに大きなものじゃない。
基本的には、本能>>>理性。
あくまで動物だから。

理性が本能を上回っている時、理性は行動の向きを操作することが出来る。
でも、本能が理性を上回っている時は本能の行動を理性が正当化しようとする。
本能の力がある程度小さければ理性で方向を定めることができるけど、本能が理性を上回れば、本能を正当化する道具になってしまう。

食べたいものを食べるためによくわからない理論で「大丈夫」と説得を始めたり。
嫌いな誰かや考えを否定するために理性がその根拠もどきを見繕ったり。

でも、正当化って"正しくないことを正しいように見せかけるためにやるもの"なので、"そもそも正しくない"し、それを"自分は自覚している"
そういった行動の前後にある心の違和感とか不快感の正体はたぶんこれ。

なので、何かしらの行動を取ろうとした時、あるいは行動の後にあーだこーだ言い出したら、それは大体正しくないってこと。
本能で動いているor本能で動いてしまって、その自分を正当化しようと理性が働いた結果。

自分でも他人でも、そういう素振りが見えたら「あぁ、感情(本能)で動いているんだな」と。


"人間は本能で動く獣"っていう前提を自分の常識にして、こういうおかしな言動に意識を向けていくこと。

これを習慣化すれば、自分の感情(本能)の動きを察知できるようになる。
今しようとしたこと、したこと、それらを正当化しようとする自分。

そういうのが感覚的に見えてくる。
見えてくるっていうか、違和感を自覚できるっていう方が正しいのかも。

もちろん、自覚したところで強引に抑えることは出来ないんだけど。
でも、自覚することで冷静になることは出来る。
冷静になれれば、自分がしようとしたことを客観視できるようになる。
客観視できれば自分と一旦距離を置けて、まともな損得を計算するタイミングを作れるから、「目の前か未来か、どっちをとるの?」って改めて本能と相談すればいい。

なので、もし「自分は感情(本能)に振り回される人間だー。嫌だー」って思うなら、まずは"人間は本能で動く"ってことを踏まえた上で、"よくわからない正当化をしようとする自分"を見つけること。
そうすれば今よりは上手く感情と付き合えるやもしれませぬので、気が向いたらお試しを。

コメント