僕らの芝生はどこよりも青い


誰かを羨んで、妬んで、批判することがある。

自分が持っていないから、自分には手に入れられないから。
理由がどうあれ、人間は自分が持っていないものを手にした人を叩く。

じゃあ、何で叩くんだろう。
これはたぶん、誰かを叩くことでその人が不幸になって、相対的に自分が幸福になるっていうことなんじゃないかな。

感覚としては、幸福になるというより、自分の不幸度が下がるって言った方がいいかも。
自分の幸福度が30として、幸福度の80の人を50まで下げれば結果として差が縮まるから、不幸ではなくなる、みたいな。

でもこれはとっても不毛だ。
だって実際に幸福度は上がってないから。
むしろ誰かの幸福を削ることで、幸福度の総量は減っている。
しかも、幸福な誰か達を叩く人が多いほど、それは連鎖していって、誰かの幸福を削ろうとする。
実際、その人たちが幸福であろうとなかろうと、自分の幸福度には関係ないのに。

この流れは結果として、叩いた人たち自身が幸福を手にした時にも回ってくる。
一緒に叩いていたお仲間から妬まれ、叩かれる。
そして、手にした幸福は消え去って、本当に不幸になる。

なんて不毛で、なんてつまらない。

そもそもこの問題は自分と誰かの幸福度を比較しようとするから起こるもの。
自分の幸福だけを見つめればいい。

人間は自分の好きなことをやってれば幸福になれる生き物。
誰かを叩いても相対的にしか幸福になれないけど、自分の幸福に焦点を当てて、自分が幸福度を上げればどうあがいても幸福になれる。
とってもシンプル。

だから、隣を見て自分のところまで引きずり降ろそうとするんじゃなくて、自分の幸福を上げること。
彼らが幸福であるように、自分も幸福を目指す。
ただそれだけで、無駄なく最短で自分の幸福度は上がっていくと思うのですよ。

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