言葉という妄想と、行動という現実


僕らは言葉に振り回される。
自分が発したものであっても、誰かが発したものであっても。

言葉という妄想を信じ、結果として現れた現実との差に落胆する。

言葉であれやるこれやると言ったところで、行動を伴っていなければただの妄想でしかない。

口約束もそう。
「いついつこうしよう」と約束したところで、それが果たされなかったら妄想でしかない。

あの人は――あるいは自分は――そうしなかった。
言葉の上で作られていた未来像はただの妄想で、そうしなかったことだけが紛れもない現実。

毎日やると決めたことが何かしらの原因で出来なかったとしても、それが出来ない自分というのが現実。
出来たはずの自分はただの妄想でしかなかったということ。

また、言葉にしていないのに何かしらの行動をしているとすれば、それは現実。
言葉と逆の行動をしているとしても、それが現実。

そういう行動となった現実だけが、妄想でない唯一の現実。
言葉で描き出した「できるはずの自分」ではなく、「できなかった自分」「やらなかった自分」だけが確かな現実。

自分であっても、誰かであっても、行動という現実だけを信用する。
その現実が目の前に出てくるまでは、言葉はちょっとだけ受け取る。
「どうやらそうするらしい」、と。
言葉が行動を伴って「現実」という形を取るまでは、それが起きない前提で動く。
そうすると、描く未来像とのブレに落胆することもないし、起きない時の保険を掛けられるから、予定を大きく崩さずに済む。

言葉ではなく、行動だけを信用すること。
僕らが言葉に振り回されないための簡単なすべ。

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