ぴーすふるなせかいへ〜道徳と法と科学と〜


どうやったら犯罪を減らすことが出来るのか
犯罪が起きないようにすることが出来るのか
それに取り組む3つの仕組みについてゆるゆるぼんやりと考えてみる


1つめは「道徳教育」

全員が法を守ればいい
つまり、個人の問題
個人が法を侵さないように教育すること

社会を乱さないような行動をしない、という意識を持つこと
簡単な言葉を使えば、他人に迷惑をかけるな
これは理想的な枠組み

ただ、道徳というものが正しく伝わらないといけないし、正しく伝えないといけない
そもそも道徳を教える側が道徳を正しく理解していなければいけない
たぶん、それを満たせる教育者は多くない
それ以前にも、道徳というものそれ自体に価値を感じるような共通の基盤が教えられる側に備わっていなければいけない

教育する側の道徳心が皆同じ形であること
それを正しく伝える技術を持ち、正しく伝えられること
道徳に価値を感じる基盤が育まれていること
それを理解し、共感できること

そういうハードルがある
非常に困難
結果だけ見ればローコストで理想的だけど、こう考えると現状では非現実的に思える



2つめは「法による抑止」

法の規定によるデメリットの提示
〇〇をしたら罰金いくら、懲役何年とか
ルールを守らなければ罰を受けてもらいますよ、と
道徳が個人の良心によるものだとしたら、これは個人にデメリットを課すことによって抑止しようというもの
たぶん、道徳の次の壁

これは損得勘定と理性を前提としている
だから、10の結果を得るために500のデメリットを受けるリスクをとる人間には意味がない
これはリスクが見えてないとか、その確率を軽視している場合も含む

じゃあ、罪が軽すぎるからその秤が壊れるんじゃないか?と
例えば、どんな小さなものでも法を犯したら最低でも懲役10年とか
人殺しは例外なく死刑とか
すごい極端だけど、そうした場合どうなるのか気にはなる
そうすると、冤罪が凄まじく重みを増すけれど
疑問としてはある

ただ、厳罰化したところでそれは物理的な拘束力を持たないので、力としては道徳と大差ない
そもそも人間は動物なので、基本的に本能>理性
感情が吹っ切れれば、法のある社会から無法の自然に出ていく
やるときゃやる

あと、根本的な問題として、法が正しく定められていることと、法の側が正しく動くことが前提となる
正しく定められた法に従って、正しく犯罪者を捕え、正しく判断し、正しく裁くこと
人間っていう恣意的な部分が絡んでくるから、どこまでいっても不安定さはある
同時に柔軟とも言える
客観性と道徳の問題である以上、恣意的にならざるを得ないのかも
そうなるとまた道徳がどうたらこうたら...

この仕組み部分が正しく動いていないと、人の中にある社会の枠組みがぶれる
だって法が絶対的じゃないんだから

この仕組みも完全ではない



3つめは「枠組み的に出来なくする」

これは科学技術的なアプローチ

SFじみた例を適当に挙げれば
完全に監視するとか
犯罪に関連した遺伝子をいじるとか
そういうもの
(あれ、SF?)

起こさせもしないし、起きても絶対に逃さない
そういう完全な抑止力の枠組みがあればそういうことを起こそうって考えは減るだろうし、起きても何とかしやすくする
もちろん、何事にも例外はあるから、完璧ではないとは思う
機械特有の欠点もあるだろうし

でも、技術の面をクリアできれば現実的に思える
というと、道徳的にうんたらかんたらって意見が出てくると思うんだけど、その是非は置いといて、社会を維持する枠組みの1つである道徳が他の足を引っ張るのって面白いよね

道徳と法はあくまで良心や損得勘定っていった「個人の意識」に働きかける仕組みで、最後のやつはそれとは関係無しに強制的にさせない仕組みだから、この辺りが道徳の癇に障るのかも



とまぁ、こんな感じ

最も理想的なのは全ての人間が共通の道徳を身に付け、その道徳に従って自然に生きることだけど、余りにも美しすぎる理想論だなぁといったところ
そう考えると、結局のところは何重にも壁を作っていくしかないのかな、と

個人的には、人間って生き物が世界の中に生まれて、社会に属する意志を持たないまま社会で生きるのが根っこにある大きな問題なんじゃないかなーって思うこともあるけど、じゃあどうすんの?ってなると「わかんね」というしかない

どうにかなるのか、どうしようもないのか
どうなんでしょうね?

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