道具の故障は幸運の訪れ


先日、パソコンを分解して、掃除してみました。
写真じゃ全くわからないですが、このパソコンはかなり古くて、買ってからもう10年近くになるもの。

手に入れてから一度も中を掃除してなかったんですが、最近Blenderでモデリングしたりするようになって、ちょいちょい音が気になりまして。
やっぱ一度くらいはバラして綺麗にした方がよかろ、と思い立ってやってみました。


以前も違う端末を分解したことはあったのですが、マザーボードがここまで露出するほどはやったことがなかったのでかなりびくびく。
分解の仕方をぐぐって、慎重に慎重に分解を進めていきます。

で、一見がっちりはまったケーブル類の外し方がいまいちつかめず、何度も閉じようとした心と戦いつつも、何とか大破させることもなく分解は終わり、埃のこびりついた中身が登場。
掃除機やらなんやらで綺麗にし、組立て直して、運命の時。電源投入。

・・・起動、そして表示されるFUJITSUのロゴ。
見事元通り。


と思いきや、タッチパネルが反応せず。

「・・・やらかした?。
まあまあまあまあ、マウスあるし、タッチパネル動かなくてもね?」

動揺、そしてよくわからない弁明。

もう一度同じことをやって壊れないという保証もないし、かといってこのままってのも歯切れが悪い・・・。

「んー・・・何とでもなれかー」

と、再度分解開始。

1度目に集中して分解をしたせいか、何処をどうすればいいのかは全部わかっており、もたつくことなく分解は進む。
しかし、正直ハードを触ったことが無いため、そもそも何が問題なのか正しくわからず。
とりあえず「何処か接触が悪いとかそんなんじゃろ」とか適当にあたりをつけて探してみると、問題の箇所を発見。

2度目の分解時に抜いた覚えの無いコード。
根っこはタッチパネルの裏側。
つまるところ、1度目に挿し忘れ。

「しょーもな」と思いながらも、コードを挿し戻し、組み立て、そして電源を入れる。

再び現れるFUJITSUのロゴ。

ログイン画面にて浮かび上がる白い矢印。
タッチパネルの反応は・・・ある。

動きまわる矢印。
クリックも特に問題なし。

「・・・ふぅ」
一安心。

初めての分解掃除はこれにておしまい。
やらかしておじゃんにしてしまうでもなく、無事任務を完了しました。


これ、一歩間違えたら買い替えってことになるんで緊張ものでしかなかったんですけど、自作やる人みたいにハード弄ってる人はいつもこういう気分なんですかね。
ある程度の慣れはあるにしろ、新品の組み立てともなると数万数十万単位だからもっと心にきそうなんですが。

まぁ、そもそもデータのバックアップを取ってれば話は別だったかもですが、何でやってないんですかね。


ともあれ、今回ちょっと思ったことが。
それは"道具の手入れ"っていうものの価値。

これは「物は別に大事に使え」とか「道具の手入れや自作が出来るようになってようやく一人前」みたいな、そういう意味じゃなくて。
(もちろんそれらも大事なことなんですが)

"自分の世界を広げるためのきっかけ"として、です。

一般的に、道具って壊れたら買い換えるか、修理に出すのが普通だと思うんですよ。
でも、そうすると自分で触る機会を失ってしまう。

言い換えれば、新品の購入や修理の外部化っていうのは「学習の機会+金銭」と引き換えにそれらを手に入れること。
直す技術を手にするきっかけや、それによって得られる関連した知識や経験、機会を手放していることになる。

でも、自分でやれば、それらを手に入れられる可能性がある。

どういう仕組みになっているのか、何故壊れたのか、何が原因なのか、どうやってそれを直すのか。
どういう風に使えば壊れにくくなるのか、完全に壊れてしまった時、次にどんなものを選べばいいのか。

自分の中にそうした経験を知識として蓄え、自分の世界を広げ、自分の行動の指針とすることが出来る。
そう考えると、自分の道具を自分で直したり、手入れしたりするのって貴重な機会だな、と。

もちろん、ちゃんと直せるかどうかは一切保証できないので、取り返しがつかなくなることってあるんですがね。

前に、"自分の世界を広げるためには偶然に頼るしかない"ってことを書いたんですが、これはまさにその偶然の1つ。
そう考えれば、道具の故障とか破損っていうのは、安易に新品を買ったり修理を依頼するんじゃなくて、自分にとっての学びの機会として上手く利用していくべきなんじゃないかなぁ、と。

今回改めてそう思ったわけです。

もちろん限度はありますけれど。
それも秤にかけて、自分でやってみることに価値の天秤が傾くのであれば、充分に価値があるな、と。

まぁ、何よりこういう手先を動かして組み立てるのって楽しいですからね。
包丁や肥後守研いだりするのも好きですし。
そういう人にはこの考え方は向いてるのかもしれません。

偶然の機会を面倒だと思って逃さぬよう、大事にしていきたいものです。


では、今回はこれにてお終い。
お付き合いいただきありがとうございました。

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