嘘吐きのコストパフォーマンス

嘘によって縛るのは自分自身。
嘘をついた自分は、偽った自分に縛られる。

出来ないことを出来ると言えば、出来ない自分が心を苛み、
持っていない事物を持っていると言えば、持っていない自分が心を蝕み、
知らないことを知っていると言えば、知らない自分が心を苛み...

嘘をつかなければ、他人から確認されることに心を怯えさせることもないし、ばれた後に自分の価値を落とすこともない。
ばれるまで自分が自分を削り続けることもない。
嘘をつくことによる問題は他人からじゃなくて、自分から生まれるもの。

出来ないことを出来ないといえば、ただ事実を言っただけ。
出来なくて恥ずかしいとかそういうことはあるかもしれないけれど、それは改めて獲得すればいい。
必要なら学んで得るべきだし、必要ない(価値を感じない)なら別にやらなければいい。

偽った自分に一致させようとすると、必要ないものを得るストレスも、偽ったことに対する道徳的な心の負荷も、"ない"ことを確認されるリスクも、晒されるリスクも無い。
ただ、無いという事実があるだけ。
それがある前提で動いた時、あとあとそれが"ない"とわかって歪むこともないから、周りとしてもいい。
現在にも、未来にも無駄なコストをかけなくてもいい。

自分を責める程度にまともな良心を持っていれば、嘘ってのはコスパが酷く悪いもの。
誰かを騙してどうこう以前に、それがある限り"自分が自分を苛み続ける"。
ある種の呪いみたいに。じわじわ、と。
嘘はそういう意味で、自分に対するリターンが見合わない。


てなわけで、非常に特殊な自体を除けば、正直でいるのが一番いいんじゃないでしょうかね。
周りのためにも、何より自分のためにも。

今回はそういう当たり前のお話。

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