今日も愉快に昨日を捨てる


こんにちは。
連日気温が凄まじいことになっておりますが、原型は留めておりますか?
溶けてませんか?

大丈夫?

ならよかったです。

気合は暑さから来る諸々の不快感を抑えることは出来ますが、物理現象は超えられませんからね。
無茶せずご自愛くださいませ。



更新され続ける最善手

さて、今回は"自分を停滞させずに変化させ続けるための習慣"について。

僕には作りごとを始めた時に決めた、あるルールがあります。
これは自分を常に更新し続けるため、意識的に身に付けた「癖」のようなものといえます。

そのルールとは"自分を疑い続ける"こと。

人間は常に変化を続けます。
年単位、月単位の大きな変化はもちろん、1日前や1時間前の出来事ですら自分を小さく変化させます。
あらゆる経験をするたびに、人間の中身は変わる。
変化があるということは、自分の取りうる選択肢も、そこにある最善も常に更新され続けます。

ということは、昨日と同じことをしようとしても、昨日の経験を踏まえた今日の自分が取るべき選択肢は違うわけです。

でも、人間は一度上手くいってしまうとそれを続けようとします。
下手にいじって駄目になるのは嫌ですからね。
そうすると、その時の自分から変化しなくなります。
その上手くいったときの点数が60点とすると、そこで留まり、残りの40点は埋まらなくなるのです。
これは勿体無い。

なので、その停滞を防ぐために、行動に向かう自分を疑う必要があります。

「いま自分がしようとしたことは最善か?」
「何故そうしようとしたのか?」
「こうするのがいいんじゃないのか?」

疑って疑って"昨日までの自分"ではなく、"今日の自分"の中でのベストを見つける。
そしてそれを実行する。

そうしたら、明日の自分は今日の自分を踏まえたうえで改めて疑い直し、明日の自分のベストを探して実行する。

この繰り返し。


例えば、料理。
わかりやすくカレーとしましょうか。

カレーを作る時、「いつもはじゃがいも、人参、玉ねぎ、牛肉で作ってるけど、今回はじゃがいもの代わりにかぼちゃを入れてみた」。

それだけで"かぼちゃ入りのカレーの味を知らない自分"から、"かぼちゃ入りのカレーの味を知る"自分に変化します。

次はその自分からのスタート。

で。
もし、じゃがいもの代わりにかぼちゃを入れたカレーがじゃがいもを入れたものよりも美味しかったなら。

この時、「かぼちゃが美味しかったから今回もやろう」とするのではなく、「かぼちゃは美味しかった。でも、もっと美味しい選択肢があるんじゃないか?」と考えてみる。

仮にかぼちゃをまた使うとしても、

「何か合わなかった部分は無いか?」
「全体としての食感は?」
「甘みが強すぎやしなかったか?」
「味がぼやけたりしなかったか?」

と問いかけてみる。

逆に、美味しくなかった時。

「かぼちゃ不味かったからやっぱじゃがいもに戻そう」とするんじゃなくて、

「何故美味しくなかったのか?」
「どうすれば美味しくなるのか?」
「合う組み合わせがあるんじゃないか?」

そんなことを問うてみる。

その結果、「今回は玉ねぎ、かぼちゃ、豚肉を具材とし、スパイスを効かせてみることにしよう」となったりする。

そうして出来たものが前回より美味しいのであれば、それは最善を更新できたということ。

その次はそれを踏まえたうえでまた自分を疑う。

「本当にそうするのが最善か?」
「他にもっと良い選択肢は無いか?」

と。

これまでの自分の出した最善を疑い、今の自分で改めて最善を考え直し、出てきたそれを実行する。

ひたすらこれを繰り返すだけです。
そうすれば必然的に変わり続けます。


そうして自分を変化させ続けているとですね、自分に"幅"が出てくるんですよ。

上の例ですと、「カレーはじゃがいも玉ねぎ人参牛肉安定だわ」と言ってそれしか作らない人は、その枠の外にある良い選択肢を提供することができません。

でも、「アボカドひき肉かぼちゃ冬瓜小松菜たけのこブロッコリー茄子魚などの材料を試したこと」がある人は、その中から必要に応じて最善を選択することが出来ます。

肉しか試してない人に魚入りのカレーの味は想像できないでしょう。

この幅が大事なんですよ。
"自分で考え、試し、変化させ続ける過程で得られた選択肢の幅"

これがあれば、その過程で経験した点数を狙って出すこともできるし、その選択肢の中から誰かが満足するものを提案することもできる。

なんて素晴らしい。


とはいえ。
当たり前ですが、良いことづくめってわけでもないです。

失敗も成功もどちらもあるので、クオリティのグラフは常に波打ち状態。
変化という実験を続ける限り、一定することは無いです。
(もちろん、以前の成功例を引っ張ってくれば、必要に応じて狙ったクオリティを出すことは可能ですが)

何より完成が無いですからね。
何処まで行っても終わりに到達しません。

感覚的には数学の極限みたいな感じ。
100点っていうゴールがあるのに、99.9999999999999...となるような。

この2点、"一定しないこと""終わりが無いこと"を受け入れられないなら、たぶん苦しいんじゃないかな、と。


でも、それを受け入れられる人。
面白いと思える人は、やってみて欲しいです。
1ヶ月くらい継続すれば、自分が変化し続けていくのが実感できますので。

変化し続ける自分をお求めの際はぜひぜひお試し下さいませ。


では、今回はこれにてお終い。
お付き合いいただきありがとうございました。

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