お洒落=個性という落とし穴



こんにちは。
冷蔵庫に甘いものを蓄えておくことが常な糸凪邑でございます。

僕はどうも燃費が悪いみたいで、頭がエネルギー不足になりやすいんですよね。
だから、いつもちょっとつまめるような甘いものをまとめて作って常備しています。

先月、先々月はスコーンやわらび餅を作っていたのですが、最近はゼラチン系の持つ可能性に気付きました。

ゼリーであればゼラチンパウダーを溶かすだけ。
味付けも簡単。
バリエーションも豊か。
無駄に腹にこないし、季節的に涼しい。
ちょっと凝ればプリンも作れる。

何と素晴らしい。

自分で書いてて思いましたが、きなこ+牛乳(or豆乳)を固めて「きなこプリン」的なものもありかもしれないですね。

うん。美味しそう。


もし、夏のおやつにお悩みの方は、ゼラチンをお試しくだされ。
手抜きかつ季節に見合ったものが出来上がるでしょう。



お洒落という言語
此度は"お洒落であるための条件"に関するお話です。

よく、お金や時間といった自己資源をすんごい費やしてるのにお洒落でない人がいますが、あれは何故なのか。


そもそも僕らはお洒落であるかどうかをどういう基準で判断しているのでしょう。
僕が思うにそれは"着飾ることで自分の外見的な価値を高められているかどうか"です。
つまり、前提として"自分の価値を高めることができていなければお洒落とは呼べない"

似合わないものを着て自分を劣化させるのは、仮に本人がお洒落をしているつもりでもお洒落じゃありません。

お洒落とされるためには、"「自分に似合うもの(馴染むもの)」=「着るべきもの」を選んで、それを正しく着ること"が必要となってきます。


そこさえ踏まえれば、センスとか関係無しに誰でも70点くらいはすぐ取れると思ってますが、じゃあどうやったら自分に似合うものを見つけることができるのか。
それを判断する目を養うには、"似合うかどうかは自分じゃなくて他人が判断するものだ"という現実を大前提としなければいけません。

自分の中に好き勝手良し悪しの基準を作るんじゃなくて、他人との共通の美意識で自分を観なければいけないんですよ。
日本語や英語といった共通のルールで他人と意思を伝え合うように。

そこを勘違いしているから、いくら頑張っても悲惨な結果にしかならない。
「お洒落はセンスだ!!自分の個性を磨いて発揮することが大事なんだ!!」と思い込んで自分の独自世界的ナニカを作ろうとし、結果的にむしろ悪化することすらある。
(そもそも狙って個性を見せるためには他人と比較することが必要)


なので、お洒落と言われたいならまずは共通する美の感覚を身に付けること。
美しいものとはどんなものか、ださいものとはどんなものか。
それらは何故美しいのか、何故ださいとされるのか。
自分が思う感覚とどう違うのか。

そうして一般的な美と自分の美の感覚を比較していって、その中に自分が共感できる部分を見つける。
「これは自分も良いと思う」ようなものを。

そのうえで何が自分に似合うのか、色やサイズ、デザイン、カテゴリ、その他諸々の要素から客観的に判断し、選び、正しく着る。

似合うものが見つからなかったら自分の体型とか髪とか、そういうのをいじってからまた探してみる。
ぶっちゃけこれだけだと思います。


単にお洒落と呼ばれるために必要なのは「客観的」な視点で、「主観的」なだけの部分は不要です。
着たいものを着るのはアート=自己表現の分野であって、お洒落であるために必要な条件ではない。


余談ですが、アートというのは自分の世界を表現し、伝えることです。
自分の思い描く世界が他者に伝わるには、言語のような"他者と共通する領域"の存在が前提となります。
なので、そもそも共通する部分が無ければ理解されることはありませんし、それがあるからといって理解してもらえるかというとそういうわけでもなくて、次は理解してもらうための高度な技術や知識が必要です。

自分ではお洒落と思って頑張ってもそう言われないのは、知識の無いアートもどきをやっているのが原因とも言いかえられます。

だから、単にお洒落と言われたいのなら、そういうアート部分は一旦そこらへんに置いといて、着たいものではなく、着るべきものを着ることが必要不可欠。


もしどうしても好きなもの(着たいもの)を着たいのであれば、お洒落という評価は捨てるか、自分以外の人々が自分の世界との共通言語を手に入れるまで待つか、あるいは自分に似合うものの中から着たいものを探すことです。

もし、この「似合うもの」と「着たいもの」の両方を満たす部分を見つけられたなら、最低70点は普通に出ます。
時々遭遇する、良い意味で雰囲気のある人っていうのは大体これを満たしています。
あくまで僕の経験則ですが。

ちなみにセンスがある人っていうのはこの「似合うもの」と「着たいもの」の公約数を見つけるのが上手いです。
自分に似合うか否かを直感的に見分けられるというような感覚。

センスといっても努力で何とかなる部分なので、どうしても着たいもの着たいのならここを狙って練習してみれば宜しいかと。

時間はかかると思いますが、続けていればバランスみたいなものがちょっとずつわかるようになってくると思いますよ。

そうすれば普通以上にお洒落と言われるようになるので、やる価値は充分にあるかと。



以上、"お洒落であるための条件"に関するお話でした。

もし、お洒落にお悩みを抱えているならば、「似合うもの」と「着たいもの」の2つの観点から考えてみてくださいませ。
もしかすると何かしら改善点が見つかるやもしれません。

では、今回はこんな感じで。
また次回お会いしましょう。

ありがとうございました。

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