期待しなければ得をするというお話



皆様、ごきげんよう。
炎天の下を死にそうな顔で歩いていると、小学校から水音とはしゃぐ声が聞こえてきて現実逃避したくなる糸凪邑でございます。

そういえば幼少期って暑いとか言ってた覚え無いんですけど、どうでしょう?
記憶にあります?
甥や姪を見ていても暑いとか言ってるとこ見たことないのですが、はて。

子供には暑い寒いっていう概念が無い?
子供は気にしないだけ?

気にしないだけであれば、我々は経験的に避けることを覚えたのかもしれませんね。
大人になることで失ってしまったのではなく、獲得してしまったことによる不快感。

何とも言えないこの感じ。
代償に何を得たのでしょうね。

今後の課題としては面白そうです。



未来を思い描き続ける僕達

本日は"期待しなければ得をする"というお話です。

僕ら人間は常に未来の自分の姿を思い描いており、それに一致させようとして行動します。

未来の姿といっても大げさなものではなく、単にペットボトルを取ろうとして手を伸ばすのも、試験に受かろうとして勉強するのもその一部です。

そして、言葉遊び的ではありますが、不運なことに、運が絡むことでさえそうです。

たとえばくじ引き。

くじの当たりを引いている自分の姿を思い描き、それに一致しようとしてくじを引く。


でも、運は運です。
手を伸ばせばペットボトルはつかむことができます。
適切に勉強すれば受かる試験には受かります。

でも、運に関することは自分の力が及ぶ範囲はかなり小さい。
もちろん、数学的手法を用いればある程度は収束できますが、それでも確定させることは出来ません。

1回で大当たりが出る時もあれば、何度引いてもおまけ以外もらえない時もある。

もちろんくじに限りません。

山札にあるカードの内、特定のものを引けさえすれば勝てるのに来ない。
70%で成功する攻撃が当たれば倒せていたのに外れた。

そういう時って、外れたら落ち込みますよね。

10000円払って当たり無しってすっごい心にきませんか?

「うわぁ・・・」

って思いません?

外れた時に落ち込むのは僕らが支払った対価に見合う自分を手に入れられていないからです。

手に入れられると期待して行動したのに、何も変わらなかった。
むしろ失った。

この"自分の資源を支払ったのに求める結果を手にすることが出来なかったという現実"="描いた未来像と現実の不一致"はストレスを生みます。

ひどい時はその現実を変えようと、また同じことを繰り返してしまいます。

覚えがありませんか?
外れたからさらにつぎ込んで、最初よりも大きな損失をしまう経験に。
いわゆる爆死的なあれ。


これを繰り返すたびに、ストレスが溜まり、またストレスで思考が吹っ飛び、より大きな損失を生む。
時として取り返しのつかないことに・・・。


こういった悲劇を起こさないために必要なのが"期待しないこと"

そもそもですよ、描いた結果が得られると思うから失敗した時にストレスとなって返ってくるんですよ。

だから、期待なんてしなければいい。
むしろ、外れることを前提とする。

自分が干渉できる要素を全て省いて、後は運に任せるしかないとなった時は、外れる前提で実行することです。

最初に"期待をしなければ得をする"と書きましたが、ちょっと考えてみてください。

もし、良い結果が訪れると期待した状態だと、期待した状態になった時はプラスになりますが、そうならなかった時は理想と現実の不一致によって心はマイナスになります。
当たれば嬉しいけれど、外れたら辛い。


でも、もし結果を期待しないのであれば、仮に外れても別に落ち込むことはないです。
外れたとしても「まぁそうだよね」で済むので、特に心が削れることはありません。
心のプラスは無いけれど、マイナスもない。

でも、もし運良く当たったら嬉しいでしょう?
その時は、心がプラスになる。


わかりますか?
期待しなければマイナスに転ぶことは無いわけです。
プラスはあるのに、マイナスは無い。

何をしても心の平穏は担保されているわけです。
これをお得と言わずして何と言う。


期待しないことを前提としていけば、いちいち運に一喜一憂することは少なくなります。

そうすれば、無駄に心のリソースを浪費せずに済み、鋼の心を手にしたかのように物事に淡々と向き合えるようになります。

もし、心が弱いことにお悩みであれば、"結果を期待しないこと"を前提として行動してみてくださいませ。


きっと、運命の女神的存在とはかなりの距離を置くことができると思いますよ。

では、また次回。

ありがとうございました。

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