偽善なる糾弾者たち



"ねたみ深い人は、他人に災いを与えたいと思い、罰を受けずにそうできるときには必ずそうするだけでなく、ねたみによって、われとわが身をも不幸にしている。"
(ラッセル 幸福論)


先日、西日本豪雨へ募金をした複数の有名人達が炎上しました。

「千鳥ノブ、ヒカキン、山田優らに「偽善」「売名行為」 西日本豪雨での“不謹慎狩り”に変化?〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180713-00000051-sasahi-soci


要するに、

『有名人が「募金したよ!!」ってSNS等の公の場で発言するのは売名行為であり偽善だ!!募金したいなら黙って募金しろ!!』

というもの。

なるほど。


一方、これはその後日談です。



さて、ここにあるのは「売名らしい行為」によって集まった「2億円以上の募金」

叩いた方々の発言するところであれば、ヒカキン氏一人が無言で100万円募金することが善なる行いだということですが、実際には彼らのいう偽善的行為により2億円以上の募金が集まりました。
(その他の方々は手元にデータが無いので、数字はヒカキン氏一人に絞って考えます)

「善らしい行いによって集まる100万円」「偽善らしい行いによって集まった2億円」


そもそも、「善」と「偽善」はどのようにわけられるのでしょうか。

我らがWikipediaにはこうあります。

善 - Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84)

善(ぜん、希: ἀγαθὸν, 羅: bonum, 英: goodness)は、道徳的な価値としての良さ。道徳的に正しい事、多くの人が是認するようなもの。
善とは社会的な規範に是とされる存在、行為などである。
社会規範はありたいにいえば所属する集団のルールのことである。

偽善 - Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E5%96%84)

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。 また、これを行う者は偽善者とよばれる。
精神的な偽善は、外面では善い行為に見えても、それが本心や良心からではない心理状態を指し、行為としての偽善は、隠れて悪事を行う為に善行を装う事である。

つまるところ、「善=道徳的に価値があり、正しいこと、多くの人が肯定するようなこと」であり、「偽善=善であるように偽ること」であると。

これを踏まえたうえで、叩いていた人間たちの言うところを考えると、「100万円を集める無言の募金は善」であり、「2億円以上集めた売名を伴う募金は偽善」となるわけですが、はて?

どちらも善では?

そもそも善悪偽善の判定は誰が行うものかというと、それらの行為を為される側です。
今回の件で言えば、被災者側。

「無言の100万円」「売名を伴った2億円」
被災者側から判断して、復興に使われる資源(リソース)としてはどちらの方が道徳的に価値があり、多くの人が肯定するか。

僕の視点では、公の場で彼らが発言したことで、害どころかむしろ無言で行うより多くのリソースを集めることが出来ているのが現実のように見えます。

額にして、2億円以上。
単純に考えて、被災地に流れこむ復興のための資源に2億円近いプラスを生み出している。

つまり、彼らがやった売名行為は、行為を受ける当事者側からすると善なる結果を生み出したことになります。
実際に売名目的でやったかはわかりませんが、仮に売名目的だとしても、その売名行為は当事者だけでなく、行為を受ける人々にとっても"価値ある売名行為"だったということ。


逆に「売名だ偽善だ」と言って、有名人の公の発言を妨げることは、被災地に流れこむ2億円以上の募金を否定することになります。
これは損失と言いかえてもいい。
自分たちの"清らかなる御心"を満たすために、被災地に入る2億円以上の資源を削減する行為。


・・・んー

それこそ「偽善」では?
実害は明らかですし、自分たち以外の誰が得をしているのでしょう。
少なくとも被災地側からすると、2億円以上のマイナスを生み出している。


そもそも力を持つ人間が自分の力を行使して当事者にとっての善を行うことは正しいことです。
仮に彼らが、自分の感情を満たすために募金し、それをSNS上で発言したところで、人間としては至って普通のこと。
その結果として、被災者側にメリットがもたらされるのであればそれは紛れもなく善でしょう。

また、その売名と思しき行為によって、ファンを始めとする、彼らに共感する人々が募金に加わったのであれば、無言でやるよりも大きな善となる。
(善に大小をつけるのはあれですが、ここでは置いておきます)
社会的に見れば、彼らの売名行為は紛れもない善として認識されるべきことになります。
被害らしきものは見当たらず、メリットしか出てないわけですから。
むしろこの場合、売名行為は善行の呼びかけ=善を広めることとして捉えることもできる。

それを否定するのはまぁ、何といいますか。
控えめに言って、偽善心に満ち満ちたエゴイズムというか。
出る杭を均すために、感情論の下で言葉の定義を捻じ曲げるのがお好きな偽善者さん達なのだな、と。


今回は最悪な偽善者という最高な反面教師が現前した出来事でした。
それと同時に、こんなしょうもない足の引っ張り合いが消え失せる世界がいつか来るのか。来るとしたら、それはどのように達成されるのか。
そんなことをぼんやりと思う出来事でもございました。


では今回はこれにてお終い。
お付き合いいただきありがとうございました。


おまけ
自己顕示欲の強い悟飯の唐突な敗北宣言。


最後に自分を上げることを忘れない悟飯くん流石ですね。

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