価値観の引き出し

瞳の目立つ、錆びた鍵。
こういう鍵を使って開くのはどんなものなんだろう。

家のドアを開けるのに使うとすれば、その家と持ち主自体がオカルティックなものを好んでいるように思える。

ごつく、重々しい扉を開くのに使うのであれば、ファンタジーチックな世界で、これから何か特別なことが待ち受けているのかな?って予想したりする。

宝箱なんかの容器も同じ。
開ける道具、行程とその中身が一致するような物語を連想する。

そう考えると、人ってやっぱり無意識の内に未来を思い描いているんだろうな、と。
描いたそれに価値を感じる時、行動を起こす。

その結果、得たものが期待はずれだと落胆するし、期待以上だと感動する。

予測させることと、実際に提供するもの。
それをいじることで、物語る方は物語られる相手の心を誘導する。

でも、未来に何を思い描くのかは受け手次第。

その内容はそれまでにどんな経験をしてきたのかによる。

どんな作品に触れてきたのか。
どんな思想に触れてきたのか。

どんな環境で育ち、どんなことを考えてきたのか。
どんな悩みを持ち、どんな道を経てどんな結果を得たのか。
その結果から、どんな価値観を組み立てたのか。

文化、習慣、教育、宗教、etc...

それらの土台によって描くものは異なる。

でも、これらのいくつかが共通だとしても、同じものを描くとは限らない。

同じ国の同じ人種の同じ言語体系を話す、同じ性別の同年齢の人でさえ大きく違う。
その一方で、一見全く共通部分のない人々が同じ価値観を持っていたりすることもある。

じゃあ、語り手は何を思い描き、何を提供すればいいんだろう。

価値観を仮定しないというのはきっと意味がない。
少なくとも自分一人しか持ち得ない価値観っていうのは確率的に考えてありえないと思うから。
でも、同時に全体の数割っていうほど大きいものとも限らない。

一割どころか一分、一厘に満たないかもしれない。
どれだけ多いか、少ないか。
それはわからない。

けど、ある程度あたりを付けることは出来る。
「こういうものを好む人はこういう世界観、物語を望んでいる気がする・・・」程度には。

それを具体的にすればするほど、要素を増やせば増やすほど、きっと数は限られていく。
同時に、その「濃さ」が増していくから、より強く響くことになる。

自分がどの程度の濃さを提示したいのか、どのくらいの規模の人たちに語りたいのか。
それを考えれば、具体と抽象のバランスが見えてくるはず。


ここで大事なのは、自分の価値観が狭ければ狭いほど語れる幅=表現できる幅は狭いままだから、時代に合うか合わないかっていう運ゲーになっちゃうところ。
他人っていう自分以外の誰かさんたちに伝えたいなら、価値観の幅を広げて、自分が語ることのできる価値の幅を広げなきゃいけない。

他人が何を求め、欲するのか。
それを知るためには、語り、学び、経験するしかない。

それを経ることで、自分が描く価値の幅は広がる=価値を感じる人が増えるのではなかろうか、と。

とまぁ、アタリマエのことをアタリマエのように再確認した今現在なのでした。


脱線してしまいもうしたが、此度の制作物が気に入ったならば、ぜひぜひあなたの物語を紡ぐ一片にしていただければ幸い。

・3Dモデル「鍵1」瞳の鍵
https://hollowcradle.booth.pm/items/1184594

ではまた。

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