季節感知器

こんにちは糸凪邑です。

今回も投稿動画に関する記事でございます。

その動画はこちら。




前に実験と称して上げたこの動画と同じ場所です。



厳密に言えば、散歩道から降りたところですが。
前回のは夏の夜、こちらは夏の終わりの夕方頃です。
今夏は毎日歩くと決めていましたが、この日は秋の風、秋の空気、そういったものを強く感じられたのを覚えています。

夕方とはいえ、真夏であればちょっと歩けばまだ汗ばむ時間帯。
でも、この日はとても涼しくて、あぁもう夏が終わるんだな、と。

こういう感覚って二十代前半くらいまでは無かったのですが、ここ数年は敏感に――少なくとも前よりは強く――抱くようになりました。

そうなった原因はいまいちわかりません。
日常的に散歩し始めたからかもしれないし、年をとって時間の流れが早くなったことに対する反動からなのかもしれない。
観えるものが増えた結果、季節の切り取りをより丁寧にできるようになったという線もあります。

でも、何であれ"季節感"みたいなものを感じ取れるようになったのはとてもよいことだな、と。

季節の移り変わりがあるということは、そのときにしかできないことがあるということですから。
それを感じ取れるようになれば、"いまそのとき"にしかできないことを見つけやすくなるわけです。

もちろん、TwitterやFacebookなんかのSNSに触れていれば、それっぽい情報が流れてきます。
今春は〇〇、来夏は▲▲・・・とか。
だから「自分でやんなくても、誰かが教えてくれるじゃないか」と。
そう思うかもしれない。

でも、それはあくまでその情報の発信者の持つフィルターです。
そのフィルターで自分の周囲を観るということは、それ以外のものが観えにくくなってしまいます。
いうなれば、フィルターの目の粗さが異なるから、引っかかるものも違うよね?ってこと。
そもそも自分とその発行者の観るものは違うんですから。
違うものを同じフィルターで見たら取りこぼしが多いのは当たり前。
田舎と都会で同じ雑誌を見ても得られるものが違うのと同じです。

これじゃあとても勿体無いし無駄が多い。
もちろん、流れてくる情報に価値が無いっていう意味じゃないですよ。
それは他者の観点=自分の外の観方なので、十分価値が在る。
でも、それに偏りすぎて自分の周りを観ないってのはどうなのかな、と。

もしかしたら、回ってきた情報よりももっとずっと素敵なものが自分のすぐ近くに在るかもしれません。
そういうものを見落とさないためにも、「自分だけの季節感」みたいなものを持って、その時にしかできないことをやっていたい。
まぁ自分の周りにあるものの方が劣っている可能性も十二分に有りますが。
でも、それも踏まえて丁寧に観ていけたら・・・。

なんて、そんなふわりとしたことを考えました。

あなたは自分の季節感をお持ちですか?
普段そんなもの気にしてないというのであれば、ぜひぜひそれらしい何かを探してみてくださいませ。
もしかすると、新しい楽しみに繋がるやもしれませんよ。

・・・なんて、今回は(今回も?)無責任にボールを放って終いにさせていただきます。
ではまた次回。

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