きりとりわーど


皆様ご機嫌麗しゅう。
糸凪邑でございます。

今回ご紹介するのはこちらの動画でございます。




木々の隙間から差し込む光、それを受けて煌めく水面。

何だか夏っぽくないですか?
僕も夏に撮ったものだと思ってたんですよ。
でも、撮影日を確認すると「4月」の文字。
春でした。

確かに、記憶を掘り返してみたら4月に行ってるんですよね。
ゴールデンウィークに遊びに行くための下見だったかな。
これを撮影した日は春らしくない、夏を感じるような暑い1日ではありましたが、まだ夏ではない。
それどころかむしろ、春真っ盛り。

それをわかったうえで視てみると、夏だと断定出来るような部分はないんですけどね。
でも、間違えてしまったのは事実。
だとすると、何故間違ったのか、と。

そもそも僕らはどうやって物事を判断するのでしょう。
自分の知覚したものの中から、自分の識っている要素を抜き出し、それを記憶と比較して一致しているか否かを判定している?

であれば、僕らはパーツで世界を抜き出して観ているってことになりそうですが、確かに今回の場合はそれらしく思えます。
川、光、木漏れ日、春よりも、夏っぽい雰囲気が出てたから、「夏」に撮影したものと判断した。
あるいは、「川に来るのは夏である」という経験から作られた条件に引っかかったのかも?

んー・・・。
わからない。
現実と感覚のズレがおもしろかったので考えてみましたが、はて・・・。

もし答えをご存じの方がおられましたら教えてくださいませ。