心の衣替え




こんにちは。

糸凪邑でございます。

スーパーなどでスイカが出始める時期になりましたね。

とはいえまだ2,000円くらいするのかな?

何店舗か見た感じそれくらいだと思うのですが、ふと散歩道にある個人商店で780円の中型スイカがあったりしたので、もしかしたらそうじゃないのかもしれません。

しかし、780円。

思わず買おうかと迷ったのですが、値段と時期的に地雷臭がするんですよね。

確か、2週間くらい前からその値段だったような。

店が寂れているのも手を伸ばしたくない理由の1つです。

もしかしたら穴場の超優良店で、絶品スイカだったりするかもしれませんけどね。

一度踏んでみるべきなのか・・・。

爆発しないことを期待します。

更新が長期間途絶えたら、何処ぞの川を渡っているとお考えいただければ。



古くて窮屈な殻

さて、本日のお題ですが、先日ふと部屋を見渡して閃いたことについて。


時々、部屋を模様替えしたくなる時ってありませんか?


僕は年に1回くらいあるんですよね。

「何か、配置変えてみようかな」って。

物が増えてごちゃごちゃしてきたりするわけじゃないんですよ。

僕は物を増やすことが滅多に無いので。

小物くらいならありますけど、場所を取るものは持ちません。

だから、増えたわけではない。


ただ、何かしっくりこない感じ。

そういう時って色んな家具を動かしたり、色んな物を整理して入れ替えて・・・ってやると、何か落ち着くんですよね。

「これでいっか」と。


何故なのでしょうね。

前より大して物が増えたわけでもなく、それでいて違和感に従って動かした結果、物が減ったり、部屋が広くなったりするわけでもない。

体感ではありうるかもしれませんけど。


それをしばらく考えた時に、ふと思ったんですよ。

"今の環境を作ったのは昔の自分だな"

って。


人間ってのは常に変化していくものです。

今自分が在る環境を作った過去の自分と、今の自分は異なっている。

だから、きっと過去の自分が作った環境と今の自分が求める環境が一致してないから、模様替えをしたくなる。

そういうもんなんじゃないかな、と。


もちろん、実際にはリアルタイムで環境は変化していきます。

物が増えたり、減ったり。

ただ基盤となるもの、フレーム部分は肉が付いたり減ったりするだけで、それ自体には変化はありません。

この根っこの部分にぎこちなさを感じるから違和感が滲んでくる。


今の自分の形と、自分のいる箱の形が合っていないとでもいえばよいのか。

ちょうど、洋服のサイズが合っていないように。

そこに我慢できなくなった時、模様替えをしようと思うのでしょう。


これ、ちょっと面白いですよね。

理性的には今の自分はあくまで「過去の自分が描いた延長線上」にいると思ってますから、環境を変える理由は無いはずです。

不都合な部分が自覚できて、且つそれがどういう影響を与えているのかなんてそうそう気付かないもんですし。

でも、直感的な部分、感覚的な部分は警鐘を鳴らしている。


「ちょっと違いませんかね?」

と。

こういった素朴な感覚。

それに気付いてあげて、それを丁寧に拾って、自分がどうしたいんだろうなって考えてみる。

これは自分と環境を一致させるために必要な行いだと思うんですよ。

だからもし、模様替えでもしようかなって思った時には、改めて"その時の"自分が求めるものが何なのか、自分自身と話し合う機会だと思って考えてみましょう。

せっかく自分の感覚が教えてくれているんですから。


模様替えの欲求は自分の変化の結果。

すなわち、調整の機会が訪れたということで。






追伸

質問、感想などございましたら、是非教えてくださいまし。

その際の連絡はコメント欄、またはこちらまで。
hollowcradle_hc◇gmail.com

何かしらのお悩みやご要望なども同様に送ってきてくださいな。

時間的な都合で個別にお返事することは難しいと思いますが、全部目を通しますし、記事に出来ることは記事にしていきます。

何より嬉しいので記事を書くモチベが上がります。


それと「面白かったよ」とか「ためになった」って場合は、TwitterやFacebookなどで共有してもらえるとありがたいです。

僕の感謝にいか程の価値があるかは存じ上げませんが、とてつもなく感謝いたします。


気が向いた時にでもぜひ。


もしこのブログの更新情報をお求めの場合。

その際はブログの下の方にあるフォームから登録していただければ、ブログ更新時にメールが届くようになりますので、こちらも宜しければどうぞ。


一応ですけど、登録したからといって、関係の無い変なメールが届くことはありませんのでご安心を。笑

コメント