遊歩の調律



こんばんは。
糸凪邑で御座います。

前回からどれくらいぶりになるのでしょうか。
毎週書くと思いつつも、僕にとっての1週間はきっと人より長く、そして世間の時の流れは疾く、極めて残酷な現実を突きつけてきます。

こないだは確か暑くなったとか言っていた気がしますが、もう梅雨間近ですね。

僕はこの季節のしっとりとした空気が好きです。
空気が強く薫る感じ、とでも言えばよいのでしょうか。
青く茂る草木の生気が勢い余って空気にも伝わってしまったような。
そんな青く、濃く、少し重く、湿った空気に満ちた夜は格別です。
何より涼しいですしね。

暑いのもだめ。
寒いのもだめ。

そういう弱虫野郎にとっては、秋と同じくこの季節が最適なのです。
愛しているといってもいい。

もちろん夕方以降の涼しい時間に限りますけどね。
日中は外に出ると炭化するんで、なかなかの死活問題です。

そういえば梅雨で思い出しましたけど、先日、庭の梅を収穫しました。

不運なことに、悪意のような日差しが降り注ぐ日のことでした。
数カ月の地獄を垣間見せるような強烈な陽光の中です。

去年茂りすぎていた枝をある程度剪定したのでそんなに収穫量は多くなかったですけど、まぁ辛かったです。

だからというわけでもないですが、今年は去年にも増して気合を入れて枝を切り落としてきたので、来年はほぼ採れないでしょう。

そんなわけで、結果として次回は楽なはず。
少し寂しくはありますがね。
例え天敵とする夏の行事とはいえ、そういった感傷のようなものは季節が巡るからこそ得られるものなので、大事にしていきたいですね。



さて、これ以上夏について語ろうとすると怨嗟が混じる未来が見えていますので、今回の小咄はこれくらいにしまして。

それでは本題に参りましょうか。



情報の病

1つお伺いします。

あなたはスマートフォンでゲームをしたりしますか?
あ、もしかしたらスマートフォンをお持ちでないかもしれませんね。

ガラケーでもまだゲーム出来るのかはちょっとわかりませんが、まぁあるならそちらに置き換えてお答えください。

もし、Yesと答えたならば。

今まで課金をしたことがありますか?
もちろんゲームにです。

Yesと答えたあなた。

「何故課金したのですか?」

人がスマホゲーに課金する理由。
いや、スマホに限らず、ネットゲーム全般に対しての課金行為ですね。

2年くらい前だったと思いますが、僕はその理由に興味があったんですよね。
人によっては課金し過ぎで破産する人もいるって聞いて、「いやいや流石に阿呆じゃないか?」って思いつつも、「何でだろう?」、と。

あ、勘違いされるかもしれないので先に言っておきますが、僕はそこそこゲーム好きな方です。

昔から身内がゲームばかりやっていたので、子供の時から外に出て遊ぶより家でゲームをしている方が好きでした。

数年前に部屋からテレビを処分した際、一緒にゲーム機を全部売ってしまったためにここ最近は全くやれてないのですが、する機会があればやりたいゲームは沢山あります。

例えばNieRはその最たるものですね。
前作のReplicantは友達にその評価を問われて、
「これをやるためだけにPS3買ってもいいくらい」
と断言する程度には好きです。

兄が気まぐれに買ってきたものですが、出会ってよかったと心より思います。
確実に今の僕を形成する一因になった作品です。

・・・と、話が逸れましたが、僕のゲームに対する立ち位置はこういう感じだとわかっていただければ。

で、そんな僕ですが、昔からネットゲームっていうものをやったことはないんです。

ゲームの内容に興味が無い、というわけじゃないんです。
ただ、なんというか、「終わらないもの」をしたくないというか。

ゲームって物語じゃないですか?
物語って終わりがあるもんじゃないですか?
映画も小説も、演劇も、詩も何もかも、最後の終幕の部分で「エンディング」の形として終わりを定義しているはずです。

でも、ネットゲームにはそれがない。
これは僕の「物語とはかくあるべし」みたいな頑なな部分でしかないのですが、その一点がどうも納得できなかったんですよね。

だから、ネットゲームをしようとは思えなかった。
ましてや、エンディングも見れないのに「課金」なんてしたくはない。

ここでも補足ですけど、僕は課金自体を嫌っているわけじゃないです。
今までDLC等に課金したことはありますし。
ただ、その内容はストーリーに関連したものに限ります。
つまり、「好きな世界の好きな物語の続きをもっと楽しめるよ」っていうものに対しては何の躊躇いなく課金することができる。

「物語であれば断片でもいいから欲しい」、と。
自分の中では、続編を買っているような感覚なんでしょうね。
小説の続きやスピンオフを買うのに近いかもしれない。

でも、「終わらない物語」の「強化アイテム等のコンテンツ」にお金を払う意味が理解出来なかった。

で、ここ数年(とはいっても、だいぶ経ちますが)、スマホゲームが流行りだしているじゃないですか。
僕の周りの友人達も数万、数十万、人によっては100万以上課金した、という人間もいて、流石に「阿呆じゃないのか?」と思ったわけですよ。

そして、「こりゃネトゲと同じやないか」、と。

そこから時々考え始めたんですよ。
その理由は何なんだろう、と。

周りの人間に何故なのかと訊いてもいまいちわからない。
で、結局確信が得られなくて、それならやってみようと思って、2年くらい前に自分の端末に適当なゲームをインストールして、始めてみました。

それからしばらくして「なるほど」と思う理由に遭遇してようやく納得出来たのですが、それは今回の件とは関係ないので、この話はここでおしまいです。



はい。おしまいです。

まぁ、長々書いといて「どういうこっちゃ」とつっこみがあっても反論は出来ないので、「落ち着こう」というしかないのですが、何とか気をとり直しまして。

本題はここからです。

今書いたように、スマホゲーに課金したくなる感覚をそれとなく理解した僕ですが、だからといってそれを阿呆みたいに楽しめているのか?というとそうでもなく。

何となくだらだらと目的もなくやっていました。

でも、「最近がっつりゲームやる環境なんて無いな」と思ってもいましたので、せっかくどこでもやれるんだから自分でも面白いと思えるスマホゲームがないのかと思い、色々試してみました。

その結果、とあるDTCGに出会い、そこそこハマることになります。

紙媒体のTCGには触れたことがあるのですが、デジタルなものは初体験。
とはいえ、基本的にカードゲームは好きなので、普通に馴染んで楽しみながらプレイしていました。

それでですよ。

TCG(トレーディングカードゲーム)は対戦ゲームですから、完全に上手い下手があるわけじゃないですか。
僕も一応TCG経験者ですから、勝つために情報収集が大事なのは知っています。
それで色々調べたりするんですが、その最中で興味深いことを発見しました。

こういうネットを介したゲームには全く疎かったので知りませんでしたが、TwitchOPENRECなどの配信サイトでプレイ動画を配信して生計を立てたり、どっかの企業が作ったチームでプロプレイヤーとして活躍している人達がいるようだ、と。

それから暇さえあれば、そういう人達の動画をずっと視たりするようになったんですよ。

普段機会がないからリスニング練習も兼ねて、英語で配信してる海外のプレイヤーの動画を作業中のBGM代わりにかけたりもしました。
加えて、Twitterで彼らをフォローしたり、国内外問わず、大会結果をまとめているサイトを点々と回ってみたり。

その結果、ゲームに関する知識が増えていって、なかなかに楽しめるようになっていったわけですが、何ヶ月かそれを続けた頃、ある変化が生じました。


"思考がまとまらない"


頭がね、ぼーっとするんですよ。

ゲーム中だけじゃないですよ。
何をしていても、です。

例えるなら、靄がかかったような状態。
考えるべきことがあるのに、それが何なのか、どう考えればいいのか、いちいち眉間にシワを寄せて思考の海から取っ掛かりを掴まないといけない。

掴んだとしても、どうやって引っ張りだせばいいのかわからなくなる。

疲れてんのかな、と思って休憩をとっても、なかなか頭は晴れず。
あ、これ不味いなーと思って、長時間動画視たり、ゲームしたりするのをやめたんですよ。
たぶん、これが原因だろうと思って。

それから数日くらい経ったのですが、まだイマイチ治らない。
動画の視聴や、ゲームでもない。

で、自分の行動を見ていった結果、調べものをしたり、アプリを作ったり、文章を書いたりして、モニターを長時間見つめている時にもそうなることがわかりました。

これは問題です。
ゲームしたり、動画視たりは別にしなくてもいい。
ただ、そういう作り事が出来なくなるのは困る。

何とかしてモニターと仲良くする方法はないものか。

それから苦節ほにゃらら。
色々試してみて自分なりにこれとお付き合いする術を見つけましたので、ここからはそのことについて綴っていきます。



日々、限りある・・・

そもそものお話。
どうしてこういうことが起こるのか。

まずはそこを考えていかなければ、解決も何も考えようがないですよね。
この世界の何事にも理由があるのだから、きっとそれにも原因となるものがあるはずです。

ただ、僕は心理学や脳科学の専門家ではないですから、詳細はわかりません。
でも、自分なりに色々調べて、こういうことなんだろうな、と思えたものがあります。

まず、その前提となるものが2つあって、1つめは

「人間の脳は無意識の内にいつも満たされることを求め続けていること」


2つめは

「人間の脳が一定期間内に蓄えられる情報量には限界があること」

この2つを踏まえた上で考えたのがこちら。


■人間の脳は無意識のうちに満たされようとしている
→現代はコンテンツ(情報)で溢れている
→それらに触れることで脳が満たされていくけど、脳が一度に蓄えられる情報量には限界があるから、それを超えてコンテンツを摂り続けると脳が処理しきれずに飽和してフリーズしてしまう。
→その結果、正しく思考ができなくなる。
→また、それと同時に脳が取り込んだ情報で満たされるから、何かをする意欲が無くなり、「別に今のままでいっか」となる

これが僕の思う、「情報によって自分を見失う理由」です。
端的に言えば、情報の大波に流されて、自分の立ち位置や目指す方角がわからなくなる、と。


で、次はその解消法についてお話しようと思うのですが、その前に詳細をもう少し。

「脳は満たされることを求めている」と書きましたが、これにはちょっと面倒なところがありまして。

それは"脳を満たすものが心から欲しているものかどうかは関係ない"ということです。
本当に必要とするものでなくても、脳を満たすに足るものであれば何でもいいんです。

例えば、「くだらねー」と思いながら見ている動画。
そういうものでも脳は満たされていきます。

ただ、脳を満たしてはいくけれど、それが本心が求めるものでない場合、脳は本当の意味で満たされて(満足して)いません。

もし、時々出処不明の「虚しさ」に襲われたりすることがあるならば、これがその理由かもしれません。
理性と本能の不一致とでもいいましょうか。

仕組み上は満たされているけれど、その内訳を無意識で知っているため、「何やってんだろ・・・」となる。

自分の持っている時間を理性が望む使い方で消費出来ていないわけですから。
すべきと感じていることも出来ず、自分の自分に対する信頼もだだ下がり。

これは不味いでしょう。

僕が望むのは、自分を丁寧に使って、在りたい理想像へ近付くことなので、何とかせにゃいかんわけです。

じゃあ、どうすればいいのか、と。



夢中の片し屋

結論から言ってしまえば、情報過多による自分のブレを修正するために必要なものは2つ。

「休息」と「対話」です。

前者に関しては対して特に説明するまでもないと思います。
情報過多が原因なわけですから、情報の摂取をやめて、脳を休ませないといけない。
それに、いくらコンテンツに触れたところで、求める中身が詰まっていなければ心が満たされることはありませんので、時間の無駄。

なので、とりあえず休みます。
というか、睡眠。

脳には睡眠中に情報を整理する役割があるらしいので、まずは睡眠をとること。

これはおそらく経験としてあるんじゃないですかね?

頭がごちゃごちゃしている状態で寝て起きたら案外すっきりしていたりすることが。

そういうことです。

頭が働かない時はとりあえず寝る。
もし頭がぱんぱんで眠れないよーってときは身体を疲れさせましょう。

普段運動をしないなら、全力で30分も走れば泥のように眠れるはずです。



で、問題は後者。

「対話」ってなんぞ?というのが正直な感想だと思いますが、これは言ってしまえば、"自分との問答"です。

もう少し具体的に言説明するならば、自分に対して
「何をしたいか?」
「何をすべきか?」
「どう在りたいか?」
といった問いをして、それに関して考えること。

例えば、「どう在りたいか?」という問いをして、「こういう風に在りたい」という答えを持ったとする。

そうしたら、次は「そのために何をすべきか?」といったように、問いを連鎖していきます。
これを自分が「そうか」と納得できるところまで続ける。

ただそれだけです。

要するに物思いですね。
そう聞いたら何も難しくないでしょう?

自分に質問をぶつけてそれに答えを充てていくだけですから。

そうして自分のすべきことを問いの形で確認することで、情報の波に流されて失ってしまった自分の立ち位置が再認識できるようになります。


ただし、ここで1つ注意。
現代の高度な情報社会の弊害とでもいいましょうか、どうやら人間は普段スマホやパソコン等のモニターをじっと見ていると、呼吸が浅くなるようです。

そして、それが日常化すると慢性的に酸素が足りなくなる、と。
流石にそんな状態ではまともな思考なんてできるわけがありません。

ってなわけで、脳に充分に酸素を取り入れるために、深い呼吸が必要となります。
まぁ、意識的に深呼吸しましょうってことですね。



「対話」に関しての説明は以上。

簡単にまとめると、

「対話」=「深く呼吸をしながら物思いに耽ること」

というのが僕の中の定義です。
これを満たすものであれば何でも対話の条件を満たせるわけですね。

ただ、そんなことを言っても具体的に何すればいいかわからない、なんてこともあるでしょう。
なので、ここからは僕がやってることをその一例としておすすめします。

もし、「自分なりに思いついたことがあるからもういいや」って方はそれを実践してもらえばよろしいかと。

もし思いつかないって方はもう少しお付き合い願います。



思考の浮遊





「対話」の手法として僕がお勧めする行為。

それは



散歩」です。





老人臭い?
まぁ、中身は80代くらいを自負しておりますけれど。

僕の中身はどうかはさておき、これは冗談でもなんでもなく、「対話するなら散歩」が僕なりの結論です。

馬鹿にするのであれば馬鹿にする事なかれと反論を述べましょう。

散歩の何と素晴らしさを知らないとは。
知っていればこれからの人生を3割増しくらい良くしてくれますよ。
もちろん、その数字は適当ですけど。
主観的にそれくらい価値を感じているってことです。

え?疑わしい?
なら、推す理由を適当に語ってみましょう。

では、まずは何が素晴らしいのか。

散歩ってのは曲がりなりにも「運動」です。
だから、椅子に座ってモニターとにらめっこするよりは確実に呼吸が深くなるし、強度の高いものではないから、無理なく考えごともできる。

そして、歩きまわるってことはゲームも出来ないし、Youtubeも無いので、情報のカットもバッチリです。

もちろん、「スマホを持ち歩けばできるじゃないか」というのもごもっとも。

スマホの持ち歩きに関しては特に言うことはないです。
僕も持ち歩いてますし、有事の際を考えたらそうするのが無難でしょう。

でも、使い方については多少の決まりごとがあります。

まずは、音無し、バイブ無しのサイレントモードにすること。

そうすることで何かしらの通知が来ても気付かないようにします。
というか、気付けないように。

そして、ゲームもしてはいけないし、SNSを開いてもいけません。
そんなことしたら、情報を断ちに出かけている意味が無いですから。

開いていいのは、「調べごとをするとき」と「思いついたことや見つけたものを記録するとき」です。

それ以外の時には使ってはいけない。
SNSも動画を視なくても死にゃしないので、我慢しましょう。
そうすれば、少なくともいらない情報で脳を占めることが無くなります。



そして運動ということは、身体の脂肪が気になる人にもぴったり。

酸素不足を解消し、頭をクリアにし、死んだ頭で考え続けるような自分の無駄遣いを減らし、運動不足の解消&ダイエット効果までもある。

頑張れば一石十鳥くらい可能かもしれません。
何という奇跡体験でしょう。

押しつぶしたら2ページくらいしか中身の無いような"ふわふわぶっく"よりはずっとシンプルで、それでいて効果が期待できますよ。



とまぁ、散歩の素晴らしさはこんな感じ。

もちろん、まだまだあるのですが、とりあえずはご理解いただけたかと。
如何です?

素敵でしょう?
散歩したくなったでしょう?

でも、その気持ちは一旦抑えてもらって。

散歩をより素晴らしい散歩へ押し上げるための決めごとについて、少々お聞きになっていっ
て下さい。


まず何処へ行くのか、何処を目指すのか、その散歩の目的地に関して。

これはあってもなくてもいいです。

行きたいところがあるならそこを目指せばいいし、無いなら適当に遠くでも目指してふらふらしてみればいい。

「こういう場所に行きたい」
「こういう店に行きたい」
というふわっとした目的があるなら、それでもいい。

目的の何かが見つかるまで彷徨いましょう。


それから、道に関して。

これも適当でいいです。
普段通らないような道を意識して選んで歩くのもいいし、もちろん普段通る道でもいい。

僕は「大きな発見があるかも」という点で、前者をおおすすめしますけどね。
まぁ、どっちでもいいです。

大事なのはあくまで、「深い呼吸」と「自分への問い」。
それだけですから。


「問い」に関しては、上の方で例を挙げましたけど、それらに縛られることもないです。
もちろん、その中から選んでもいいし、適当にそれ以外でもいい。

上の例を使うなら、「今の自分がすべきこと」でもいいし、「これからしたいこと」でもいい。

「何かを学びたい」という欲求があれば、「何を学びたいか?」、「何を学ぶべきか?」という問いを持てばいい。

何かを考えなければいけない、っていうことはないです。
客観的に判断して、今の自分の中で最も考えるべきことを問いの形にして、それに対して考えていけばよろしいかと。


そうやって散歩しながら問いを続けていると、1〜2時間もすれば頭の中が散歩前よりずっと晴れてくるはずです。

時間に関しては特にこれがベスト、というのは無いですが、僕の目安としては最低30分。
希望を言えば1時間以上がいいですね。

でも、それも自分なりに基準を定めたらいいと思います
時間を基準にせず、事前に「ある問い」を設定しておいて、それに対する納得いく答えができたらおしまい、というのもありですね。

それも自由です。

自分の好きなようにルールを決めてやってみましょう。


これ、実際にやってもらったら解るんですけどね、する前と比べて感覚が全然違うんですよ。
実体験しなければ解らないものなんで、そうした人しかこの感覚は得られないのが残念ですが。

でも、僕はやってみる価値があるといっておきます。

深く呼吸しながら物思いに耽る散歩。
ただそれだけで、情報の波に溶けかけてた自分を取り戻せるわけですから。

散歩法・・・というほど体系化されてもいないし、僕としては自分ルールを定めて気楽にやっているだけですけど、もし「自分がぼやけてるな」と感じるなら、是非是非やってみてくださいな。




■今日のまとめ■
人間の脳には一定期間に処理できる情報量に限りがある。
情報(コンテンツ)に満たされた脳は正常な判断ができなくなる。
そういう時に必要なのは「休息」と「対話」。
無駄な情報をカットし、脳を休め、身体に深く酸素を取り込みながら考え事をしよう。
てなわけで、そのための手段として「散歩」なぞどうでしょか。
その際はスマホ等の携帯端末には「調べもの」と「メモ(記録)」以外は触れないように。
道中で必要なものは、「深い呼吸」と「自分への問い」。
行き先も時間も道も、何もかも自分でルールを定めて、ふらりふらりと問いの時間へ出かけよう。



と、今回はこんな感じで。

締めとなりますが、上の方で「人間の脳は無意識の内にいつも満たされることを求め続けている」と書きましたよね。
現代においては、この欲求を叶えることは非常に簡単です。

満たすためのコンテンツであればネットに満ち溢れてますから。
暇な時間に動画サイトやSNSを見続ければいい。
そうすれば脳が「もうお腹いっぱい」と満腹を訴えてくるでしょう。

それがお腹と同時に心を満たすものであれば何の問題もないです。
そうすることが自分にとっての最適なのでしょう。

でも、もしその満腹が心を満たすものでないなら。
その食事の価値は如何ほどか、と。

心地良さは感じていますか?
気持ち悪くなっていませんか?

そこに疑問を感じているなら、注ぐ中身を変えてやらないといけない。

コンテンツが溢れているとはいえ、食べるのは自分。
幸運なことに、現代はそれを自分で選ぶことが出来るのですから。

脳が満たされることを望んでいるのであれば、どうでもいいものではなく、「自分が心から求める純度の高いもの」で満たしてやりましょう。

そうすれば少なくとも虚しさとはおさらばできるんじゃないかな、というのが素朴な感覚です。

単純ですけどね。

ここであーだこーだ書いてますけれど、僕自身そう在り続けられたらと願って日々を積み重ねるだけです。
できることからちまちまやっていきましょう。


では、今日はこれでおしまい。
いつになるかは気温次第ですが、また次回お会いしましょう。





■余談■
今回、自分との「対話」をするための行為として「散歩」を取り上げましたけど、上に書いたように
・情報をカットすること
・酸素を取り入れること
・物思いに耽ること
の条件を満たすものであればなんでもいいです。


なので、例えば「瞑想」なんかもそれに該当しますね。

「瞑想」っていうものに対する世間一般のイメージがどうなのかわかりませんが、静かな部屋で胡座or正座して、腹式呼吸しながら考え事をするだけでおっけーです。

感覚としては、呼吸の際に鼻から長く吸って、口から長く吐くこと、そして1呼吸の長さを長く。
吸うときは吸い込んだ空気が全身に行き渡るようなイメージ、吐くときは身体の酸素を吐き切るようにすることを意識。
時間の目安としては、1呼吸30秒以上。
これを30分も続ければだいぶ思考がクリアになるんじゃないかな、と。

もし散歩がめんどくさいって人はこっちを試してみて下さい。


それと、もし「対話」の部分で「やりたいことなんてない」って人は、そういう欲求が出てくるまで自分の世界を広げる必要があると思ってます。
もうちょっと詳しく言えば、自分のいるこの世界には何があるのかを知る必要がある。

そのために何をすべきかなんですけど、これは「色々やってみろ」というしかなくて。
例えばそのための手段としては、上に挙げた「散歩」でもいい。
問いがないなら、散歩中に自分の五感で触れる情報について考えてみましょう。

視覚であれば、流れる景色に映る人間、植物、空、建物・・・。
もちろん、視覚情報だけに頼る必要はないですね。
五感を意識的に使って外界を観てみれば、色んなものが映るはずです。
空気の温度、匂い、景色の色、風の感触、光、音・・・。

そういったものを意識して確かめてみる。
それらに対して、自分が何を思っているかを考えましょう。

「あの人は何をしているんだろう?」
「あの植物はなんて言うんだろう?食べられるのかな?」
「今日の空は何て表現したらいいんだろう?」
「美味しそうな匂いがするけど、何の匂いだろう?」

そういう何でもないようなことを考えてみて下さい。
これを1ヶ月も続ければだいぶ物事の観方も変わると思いますよ。


あとは、そうですね・・・。

図書館に篭もるのもありです。
空いてる時間を全て図書館で何か読むことに費やすんです。

この時のコツとしては、自分の読みたいものを初めから探すんじゃなくて、色んなコーナーを転々と歩いて、「お?」となるものを見つけることです?

普段の自分が触れないもの、とはいえ全く違うものは"理解"という点できついと思いますから、最初は「気にはなるけど買うまではいかない」ようなものを手に取ってみればいいと思います。

どうせ"ただ"なのですから、気になるものは気負わずに目を通してみたらいい。
欲しいと思ったらそこで改めて買えばいいんです。

個人的には、「自分の世界を広げるという」点でいえば、散歩よりも遥かに広がると思ってます。
人によっては広がりすぎて混乱するレベルかもしれませんが、まぁ別にいいでしょう。
立ち止まって自分の庭に閉じこもるよりは、広大な空間を彷徨う方がましですから。

あ、前に僕が書いたワンコインゲームをやってみるのありですよ?
自画自賛じゃないですけど、そういった行為もきっと現状を変えてくれるはずです。


補足としてはこんな感じで。
問いが無いなら、心の水面に問いが浮かんでくるまで、文字通り色々やってみてください。



■追伸■
感想、質問などがありましたらこちらまで。
hollowcradle_hc◇gmail.com
※◇を@へ。

数が多い場合は個別にお返事することが出来ませんが、必ず読みますし、大事なところは内容に反映していきます。
何より嬉しいので記事を書くモチベが上がります。

また「あんた、いいこと言っとるやんけ」って方は記事をシェアしてくれると、より多くの人に読んでもらえるのでとてつもなく助かります。

気が向いた時にでもぜひ。



あ、そういえば。
今もスマホゲーはちょいちょいやってみてますが、今の所一番面白いのは「アナザーエデン」でした。
懐かしいRPGを今風にリメイクした感じで、これは面白かった。

「スマホゲーなんて・・・」って人にこそおすすめです。

そして、クロノトリガー好きな人には大きく推薦したい。
中々にニヤつきますよ。

興味があれば是非。

「アナザーエデン 時空を超える猫」
https://another-eden.jp/

コメント