お久しぶりです。
糸凪邑です。
前回からかなり空いてしまいました。
別のところで書いているものを見ている方はそんなに久しぶりというわけではないかもしれません。
Twitterではだいたい日に1回くらいは他愛もないことをぼそぼそ呟いてるので、ちゃんとやれよって方はそっちを見て頂けたらよろしいかと。
短文ですが、中身は詰めているつもりです。
もし、そんな短文すらなくなったときは、「野に帰って光合成でもしてるんだな」とお考えいただければ。
とまぁ、そんな誰得な冗談はさておき。
今回のお話に参りましょうか。
ワンコインの選択肢
突然ですが、ここに500円(税込みで540円)あるとします。
今からこの500円で何かしてみましょう。
僕がこの文章を書いているのは午後21:00過ぎですが、あなたはいま何時ごろ、どういった状況で読んでいるのでしょうか。
お昼どきで、お腹が空いていますか?
なら、コンビニやスーパーに行ってお弁当やおにぎり、サンドイッチなんかを買いましょうか?
それとも、チェーン展開されたお店にでも行きましょうか。
うどん、牛丼、寿司、ハンバーガー、etc...
チェーン店の味に飽きたなら、食べ◯グでワンコインランチとでも検索して、近場にある店を訪ねてみてもいい。
もしかしたら、ハンバーグセットや定食くらいなら食べられるかもしれません。
あ、自炊という手もありますね。
食材を買いに行って、自分の家で調理しましょうか。
・・・えーと、ご飯は食べた?
では、デザートなんていかがです?
アイスクリームやパンケーキ、ドーナッツやシュークリームにクレープ。
回転焼きやお団子といったものもありますか。
個人的には和菓子を推しますが、まぁ好みで・・・と、失礼。
いま挙げておいてあれですが、パンケーキは謎な値段がするので、おそらく500円じゃ食べられませんね。
少なくとも倍はする筈です。
ですが、自分で作るなら予算内で店の数倍の量が焼けます(数倍どころじゃないかもしれませんが...)。
買うものは卵とミルクと砂糖と薄力粉と。
あ、トッピングに生クリームや蜂蜜を買ってもいいですね。
フルーツはなかなか値が張りますが、柑橘系やリンゴ1玉くらいならいけそうです。
あとはGoogle大先生に美味しいパンケーキの作り方を伺ったり、Youtubeで動画を視て学びましょう。
メレンゲを作るのは大変ですが、そうしてよかったと思うほどに幸せな味が頬張れます。
材料を揃えて1時間もすればキッチンが甘い香りに満たされるでしょう。
ん?
お腹は空いていない?
では、退屈しのぎにこの文章を読んでいるのでしょうか?
それはとてもとてもありがたいことですが、僕の濁りきった不純な動機の泉から垂れ流される駄文で、あなたの純真な心が濁ってしまわないか心配ですね。
というわけで、文字を読むのであれば、他の方の書いた本を買いに行きましょうか。
とりあえず近くの本屋に行こうと思いましたが、今回のご予算は500円でしたね。
それであれば、そんなに大したものは買えないかもしれません。
文庫本か漫画、雑誌類が限界でしょうか。
ハードカバーなんて流石に手が届きませんね。
そうですね・・・。
もし新刊にこだわらないのであれば、古本屋に行ってみましょうか。
ブッ◯オフなどであれば、100円コーナーがあるので、そこで適当なものを探してみましょう。
真面目なものが読みたいなら、岩波あたりを探せばよいかと。
ものによりますが、何十年、何百年、あるいは何千年という長い長い時間を乗り越えてきた書物を手に取ることができます。
僕は古典厨というわけではないですが、それだけの年月を過ぎてもまだ社会に残り続けるというのは、今もなおそれを欲する人がいる=それだけの価値を持っているということですから、薄っぺらい内容の多い新刊よりは、買う価値が十分にあると思ってます。
現代よりも辛い時間を生き抜いてきた「偉人」と呼ぶにふさわしい人が、その生涯をかけて遺したものですから、ひたすらに濃厚です。
哲学書なんかを手にとったりしたときには、何ヶ月も何年も、もしかしたら、一生かかっても理解できないようなものに出会えるかもしれません。
それをどう思うかは別として、100円ぽっちで買えるコンテンツでそれだけの時間を楽しめるんですから、中身があって無いような"文字列"を眺めるよりはずっと有意義でしょう。
あくまで相対的なお話ですけどね。
「おまえの文章の方がずっとおもしろいよ」
っておっしゃるのであれば、
「なんという奇跡だ。そんなに持ち上げても何も渡やらんぞ」
と思ってしまうのですが、まぁそれは冗談として。
とりあえず、僕の文章に何も得られるものがなければ、そうした「歴史に遺る偉人の書き記した書物」を読むのが何よりおすすめってことです。
世界に遺ること(遺るように維持し続けていること)には、客観的に判断して相応の価値があると思えませんか?
それがお手元のワンコインで何冊も買えるんですから、悪くない選択でしょう?
あー・・・そもそも文章読みたくない?
ふむ・・・どうしますかね。
では、何かものづくりでもしましょうか。
僕がアクセサリを作ったりしているからというわけではありませんが、何か工作をしてみるというのは面白いものです。
小中学校で図工、美術の授業を使って彫刻や絵を描いたりしますよね?
そんな感じで、何か作ってみましょう。
とはいえ、500円で何を作れるか。
とりあえず道具を揃えないといけませんが、これっぽっちの資産でどうしましょう。
そうだ。
困った時は100均へ。
別に大したものは揃える必要はないですから、◯イソーでもセ◯アでもキャンド◯でも、そこら辺のローカルなショップでもいいです。
とりあえず行ってみまして。
そうして着きましたら何を買いましょうか。
とりあえず、鉛筆と紙があれば絵は描けそうです。
立派な風景画や人物画が描けなくても、適当に丸描いてちょんちょんと目鼻や口をつけて、仕上げに吐血させとけばよくわからないキャラの出来上がり。
明日からあなたは画伯と呼称されるでしょう。
その程度なら絵心を大地に置き忘れてきた僕にもできたので、誰でもちょろいです。
・・・絵は嫌?
仕方ないですね。
じゃあ、アクセサリでも作りますか。
実はアクセサリを初めて作るとしても、手回りも首周りもどちらも簡単に作れるんですが、とりあえず今回はレザーネックレスにでもしておきましょう。
工程は至ってシンプル。
好みの革紐と、チャームを買って、通して長さを調節して結ぶだけ。
3分クッキングも驚きの1分レシピですね。
もっと凝ったものをお探しの場合はいつも通りにネットの海を散策しましょう。
僕はブレスレットもネックレスもビーズをピンで繋いでいくものが好みなんですが、最低でも留具と9ピンと丸カンとビーズとニッパーと先の細いラジオペンチが2本、あとはチェーンなどが必要なので、予算オーバーしそうです。
もし興味が湧いたら道具を揃えてみてください。
自分だけの作品で自分を飾るのは、とてもとても心躍るものですよ。
ん?普段アクセサリなんてつけない?
じゃあ、木彫などはどうでしょう?
適当な木材と彫刻刀、或いは木工用のナイフを買って・・・あ、仕上げ用のヤスリも必要ですね。
僕は100均の彫刻刀を使ったことがないのでその切れ味は不明ですが、念の為、予算が余ったら砥石も買いましょう。
完成品にそれっぽい色を着けたいならニスと筆or刷毛も。
で、そんなこんなで材料と道具を揃えた後、何を作るかですが・・・はて。
コースターみたいな平たいもの、キャラみたいな立体もの、はたまたスプーンのような実用品。
使うタイミングがあるのかわかりませんが、ペーパーナイフなんかも作れますね。
もちろん、ペンダントトップ、リングといった装飾品も。
彫るものを決め、形を決め、鉛筆などで下書きし、荒削りし、細かいところを彫っていく。
一刀一刀、時間を忘れて、望んだ形に近づくように刃を入れていきます。
1時間か、2時間か。
それよりも長い時間でしょうか。
少しずつ削っていって、求める形を手に入れたら、後は紙やすりでなめらかに仕上げると、ほら出来上がり。
自分だけの彫り物の完成です。
お好みでニスを塗って艶を出すなり、色を着けるなりするのもいいですね。
まぁ、こだわり続けるとキリがないですが、満足出来るまでやり続けるのはとても楽しいこと。
彫刻刀を手に無心で彫り続けるというのは没頭できる作業なので、現代の心騒がしい日々に疲れているならおすすめです。
・・・と、こんな感じで。
どうですか?
「500円で何をするか?」という縛り。
書いてる途中で適当に考えただけでも色々あるもんですね。
食事、料理、読書、絵画、木工、その他諸々エトセトラ。
もしかしたら、今挙げた選択肢から選ぶのかも知れませんし、もちろんそれ以外から持ってくるかもしれません。
まぁ、考えてもらってあれですが、どんな選択をしたのかは特に関係ないです。
厳密に言えば、その良し悪しに関してはどうでもいいといいますか。
その優劣についてどうのこうのいうつもりもないですし、そもそも人それぞれでしょう。
ここで取り上げるのは「その選択によって得られるものの認識」について。
普段自分が何となく選ぶもの。
それが持つ価値ってのは何か。
それを考えるのが今回の本題です。
得んとするもの、手にするもの
はてさて。
選ぶものについて考えるといいましても、どうすればいいのか。
とりあえず前提部分として、普段、自分達がどういう理由で物事を選択し、行動するのかを考えてみましょうか。
例えば、食事。
何故食事を摂るのでしょうか。
生きるため?
まぁそうですね。
では、「生きるために」食事を摂るというであれば、別の方法で栄養を摂ればいいのではありませんか?
例えば点滴でもいいわけですよね?
でもそうしない。
「飯食うのめんどいから毎日点滴打ってるわ」
とかいう人は、まぁなかなかいないんじゃないですかね。
探せば何処かにいるかも知れませんが、少なくとも、僕は知りません。
大抵の人は「昨日ハンバーグ食べたから今日は違うのにしよう」といったように、どういう"食事"を摂るのかを考え、選んでいると思います。
どうしてでしょう?
何故食事の内容を選ぶのか。
何故点滴ではいけないのか。
それは、その行為に対して何らかの「価値」を感じているからです。
口に入れて食べ、満たされる感覚。
同じ「食事」であっても、不味いものより美味しいもの。
毎食同じものより違うもの。
もちろん「毎日同じものを食べても構わない」という人はいますし、「2日続けて同じものは・・・」という人もいる。
「味はそこそこでいいから、何より栄養」って人もいれば、「うまけりゃ栄養なんてどうでもいい」という人だっている。
その基準はそれぞれですが、各々が"価値"の基準を持って、それに従って何かを選択するわけです。
この前提をふまえて今回の主題。
先ほどの思考になるわけですが。
あなたは500円で何をしようと思いましたか?
お腹が空いたから、食事にしますか?
暇を潰したいから本を買いに行きますか?
あるいは、何かを作る材料や道具に使いますか?
確かにご飯を食べれば食欲は満たされるし、漫画を読んだり絵を書いたりすれば暇は潰れますね。
それはおそらく自分の求める価値であるだろうし、きっと願望のとおりに獲得されることでしょう。
でも、僕らが半ば無意識的に選んでいるものは、求めるものと同時に、それとは異なる価値を持っていて、その大半が自覚のないままに獲得されています。
それは「自分の世界の外にある価値」です。
・・・大丈夫です。
たぶん意味分かんないことを言っているように聞こえるでしょうけど、それは正常です。
今から具体的に例を挙げて説明していきますね。
では、上で挙げたものをその例として、順番にみていきましょうか。
まずは食事。
もし食事を摂る選択をしなかった場合、過去の自分ならどうしたかを考えてみて下さい。
あなたがもし500円で食事をするとき、どうしますか?
コンビニ?スーパー?
カフェ?レストラン?
はたまた自炊でしょうか。
この選択はどれも食欲を満たすことはできますね。
これら、あるいはその他の選択肢から、あなたの基準に従って選んだと思います。
普段、食事に対して無意識に求めるものは、美味しさ、安さ、目新しさなどでしょうか。
それらの要素のバランスで、どう食事するかを選ぶと思います。
でも、食欲を満たすために選んだこの選択肢達には、別の価値があるんですよ。
そしてそれらは各々異なっている。
もし、コンビニで食事を買うことを選んだならば。
あなたはそこのコンビニにあるのがどういうものかを知ることができます。
このコンビニはおにぎりが美味しいけどパンは不味い。
ホットメニューは高い。
スイーツはかわいい、高級感がある。
新商品を買ってみて、当たりか外れかどうか。
このコンビニはどういった雰囲気を持った店作りをしようとしているのか。
セブン◯レブンは、◯ーソンは、ファミリ◯マートは。
人の多いところとそうでないところの違いは何か?
客層は?
店員の質は?
色々と比べてみれば、そういった情報を手に入れることができますよね。
次はコンビニではなく、適当なカフェや定食屋なんかの飲食店に行く場合。
お店の雰囲気、味、客層、立地。
ワンコイン以上、あるいはワンコイン以下の味なのか。
同じジャンルを提供するチェーン店と比較して、どちらが美味しいか。
こういった情報を手に入れることで、次からの選択肢になりますよね。
気に入る店を見つけられたら、誰かに教えてあげたらいい。
その味や雰囲気を気に入りそうな誰かに。
そうすれば、良い店を知っているポイントが手に入ります。
ちゃりーん、と。
そのポイントが何かは適当に思いついただけなんで突っ込まないで頂きたいのですが、とにかく良い店を知ってるやつとしての地位に近づけるということです。
こういうふうに、外で食事をしたり買ったりする場合は、その場所で手に入る味や雰囲気その他諸々の情報を得られるわけですね。
で。
自炊の場合。
仮に・・・そうですね。
ハンバーグを食べたいと思ったとしましょうか。
もしハンバーグを作ったことがないなら、お手元のスマホやPCに向かって、「ハンバーグ レシピ」と作り方を調べますよね。
そして、近くのスーパーにでも行って必要なものを調達し、調べたレシピを見ながら実際に作ってみる。
そうするだけで、色んなことが得られますよね。
ハンバーグの材料、味付け、焼き方、その他諸々。
もし、普段買わない材料がある場合、その値段。
人によってはフライパンの蓋が必要だなと思ったり、今度フライ返しを買いに行こうと決めたりするかもしれない。
あ、それ以前に、ハンバーグの材料費について知ることができますよね。
ワンコイン分全てハンバーグを作ることに費やしたらどれくらいの量を作ることが出来るのか。
これは作ったことがあるのとないのでは、全く違うでしょう。
普段自炊する人なら予測は付くかもしれませんが、食材を買ったりすることのない人はさっぱりわからないと思います。
驚きますよね、こういう原材料費って。
もちろん、お店で提供される価格は、人件費とか光熱費、その他諸々のコストがかかったものなので、単純に材料費で比較することはできませんけどね。
それを省いて自分で作る場合、材料の質を考えなければ単純計算でだいたいの値段わかります。
知ってしまった後は、人によってはお高いハンバーグが馬鹿らしくて頼まなくなるかもしれない。
もちろん、初めからお店のものより美味しく作るれる場合は、なかなかに少数だと思います。
それでも、自分が美味しいと納得できるまで繰り返せば、自分の料理の技術もつきますし、そこまでいけば、外食を抑えるという考えになるかもしれない。
お店で食べる「雰囲気」が好きということももちろんありますから、そちらを考慮して、味と心地よさを選んでお店に行くという選択肢はあります。
それは人によるでしょうね。
ただ、もしかしたら自分で作る行為自体に楽しさを覚えるかもしれませんし、そういったことの確認もできます。
実は料理好きの性質を持つ人だったり、何故か突然料理の道を歩みだしたりすることもあるかもしれない。
それに、作り方を知るということは、他人が作ったもの、具体的に言えばお店で食べるものに対しての視点が変化します。
「このハンバーグはどうやって作っているんだろう」
「調味料は何を使っているんだろう?」
「肉の割合は?」
「焼き方は?」
「つなぎは?」
「ソースは?」
今までは味が美味しいか美味しくないか、安いか高いか、といったことしか気にしなかったのが、作り方や仕組みに対しても考えることができるようになるわけですね。
これだけでも大きな視点の変化じゃないですか?
そして、もし以前にもハンバーグを作ったことがあるなら。
そうした場合、今回はいつもの材料、いつもの作り方とは違ったものを試してみる。
肉の分量を変えてみたり、自分で肉を叩いて挽肉にしてみたり。
玉ねぎの切り方を荒くしたり、反対に細かくしてみたり。
味付けも、普段は塩胡椒ナツメグだけしか入れないとしたら、ウスターソースやケチャップ、ハーブを加えてみるとか。
一般的な牛+豚ではなく、豚+鳥や、牛+鳥のように、使う肉の種類や部位を変えてみるのもいいですね。
違う店で材料を調達してみるのも面白いです。
そうすれば、自分の好みとの差分がわかりますよね。
今回は前回とどう違うのか。
何を変えたら美味しく、あるいは不味くなったのか。
自分の好きな味から遠ざかったのか、それとも近付いたのか。
「〇〇さんのレシピを参考にして作ってみたら、美味しかった」
というのであれば、その人の味覚と自分の味覚が近い可能性がありますから、次から〇〇さんのレシピを見に行くという選択肢の優先度が変化しますね。
ちなみにですけど、
「自炊なんてやったことない。フライパンも鍋も調理器具も調味料も何もないよ」
って場合はハンバーグを作るのは無理なんで、そういう最低限必要なものを備えていることを前提としてます。
自炊経験がある方は御存じだと思いますが、仮にそういうものを揃えた場合、流石にワンコインには納まりません。
食材+調味料だけでも、
挽肉
玉ねぎ
塩
胡椒
ナツメグ
(必要ならパン粉とか牛乳とか)
調理器具込みなら
フライパン
包丁
ボウル
(※本当は捏ねるためのボウルが欲しいとこですが、フライパンかビニール袋で捏ねるという荒業も可なので、省略します。一応、深めの器を持っていれば大丈夫かな?)
まぁ、普通の一人前サイズでいえば100円もいかないと思いますが、流石にスーパーに行って数円単位で調味料を買うことは難しいですからね。
ある程度まとめて買うしかありません。
とにかく、店で揃えようとしたら500円では作れないでしょう。
ただ、そういう何もない状態でハンバーグをワンコインで作ろうとしたら、どうも「無理」らしいということは知ることができますね。
これは調理方法以前の問題ですが、これも知っているのと知らないのとではやっぱり違う。
食事に関してはそんな感じで。
次は、ものづくり、絵画、作文、なんでもいいですけど、それらも同じです。
以前は適当にあーだこーだ感想を言うだけだったものが、実際にやってみると、まるで違う見方が出来るようになる。
この色使いはどうなっているんだろう、
この部分はこうやって彫っているんだろうか、
何故この言葉をここで使っているんだろうか、
よくあるのが、「ここまで来るのにどれだけ時間を費やしてきたんだろう」という、感慨のようなものですかね。
やるまえは「ちょろいちょろい」と思ってたものが、やってみると「無理」だった。
自分の立っているところからは中が見えなかったけど、そこに近付いてみて、一歩足を踏み入れてみて、その穴の深さが見えて「マジかよ・・・」となるような。
何かを作るということは、それが最も強く現れるものの1つでしょう。
あとは読書に関してですけど、これはもう言うまでもないですよね。
著者がそれまで生きてきた中で得たものを書き連ねているわけですから。
それこそ視点の塊です。
僕は読書家と言えるほど普段から本を読んでいるわけではないですが、それでも読んでよかったもの、何千円も払って、何日も何週間も何ヶ月もかけて読んでよかったと思える本があることは実感として理解しています。
それらの本は僕の矮小な世界を広げてくれました。
時々広がり過ぎて「どうしよう・・・」となることもありますが。
とにかく、世間で本を読めと言われるのは、こういうわけです。
まぁ、インテリぶって本を読めというのに関しては知りません。
冊数を読むことに"のみ"価値を置くのは、使いもしないコレクターと同じですから。
僕は「文字を読む」と「言葉を読む」のは違うと思うので、そんなことはできないと思うんですけどね。
もしかしたら、そういう人は読解力が高すぎてぱーっと読めてしまうのかもしれませんが、少なくともそんな真似は僕にはできないです。
そもそも流して読めるほどぺらい本なんて買って読む理由が無いでしょう。
だってそれはもう知っていることか価値の無いものだろうから。
そういう点で、個人的には内容が濃すぎて毎日数ページから数十ページ程度しか読めないようなものを選ぶことをおすすめします。
最近のものでもいいですけど、基本的にそういう新しくて濃い本は値段が高いので、初めは文庫とかになってるものでよろしいかと。
必然的に、いわゆる古典になってしまうかもしれませんけど、ある程度は仕方ないですね。
上でも言いましたけど、長い時間を乗り越えるものにはそれだけの価値があります。
偉人と呼ばれた人達がその人生をかけて世界の見方を遺してくれているんですよ。
とりあえず安く手に入る濃厚なそれらを何冊か読んでみるのはアリじゃないですか。
その際は、じっくりゆっくり、辞書を引きながら、一語一語、言葉の意味を確かめながら読んでみましょう。
言葉の意味も、自分が知っている使い方が間違っている可能性もありますし、そもそも言葉は時代によって意味するものが移り変わりますからね。
その文脈で語られる意味を丁寧に汲みとって、理解に必要な観点を構築する必要があります。
そうして時間をかけていくと、読み終わる頃にはまるで別人になってるかもしれません。
もしかしたら文字通り「変態」する可能性も、無くもないですね。
まともな本いうのはそれほどまでに強い「見方」を与えるのです。
とはいえ、活字が嫌いで、読むだけでめまいや吐き気がするって人もいなくはないでしょう。
そういう場合は、もちろん漫画とかでも全然ありです。
世界中で語り継がれるような漫画には、同様にそれを作った人達の描きたいものが詰まっていますから。
もしその内容がぺらっとしていて、なのに売れている、評価されている場合は、何故そうなるのかを考えてみると、また新しい視点が手に入ります。
主人公は何を目指しているのか。
このキャラにはどんな役割があるのか。
作者は何故この世界を作り上げたのか。
作者が感動する物語はどういうものなのか。
etc...
「何か面白そう」で買う漫画であっても、単に楽しむ以外にもそういう使い方をすることによって、自分の視野を広げる書物になるんですよ。
それと、同じジャンルのものばかりを買うのと、全然違うジャンルを買うのではまた異なります。
異ジャンルのものを選ぶことに関しては、言うまでもないですね。
ジャンルの違いってのは、世界の違いですから。
いうなれば定義からして別世界です。
じゃあ、同じジャンルばかりを選ぶことはそうじゃないのか?というと、そんなこともなくて。
例えば、「恋愛」というジャンルで書かれた作品群が全て同じ世界を描いているわけではないでしょう。
学園ものだったり、オフィスもの、バンドものもあればファンタジーが混じったものもありますよね。
SFやファンタジーもおんなじ。
それぞれ作者が描くもの、描けるものが違うのだから、作品の有する世界も当然違います。
余談ですけど、僕は普段からジャンルとかカテゴリで物事を判断するのがそんな好きじゃないんですよね。
というのも、人が(あるいは人々が)創りあげるものが同じになるわけないじゃないですか。
だから、本来は「〇〇さん(or〇〇という集団)の世界観」とするべきだと思ってます。
あくまでカテゴリやジャンルは、共通の言葉であるそれらを使うことで他人に説明するためのものであって、同じものだと一緒くたにするものではないでしょう。
そういう意味で、触れるか触れないかを、その分類で判断するのは勿体無いんじゃないかな、というのが僕の私感です。
ちょっと話がずれましたが、本に関しては以上。
とまぁ、色々例を挙げて書きましたが、こういう風に手に入れることができる"今の自分が知り得ない「新しい視点」"。
それが「自分の外にある価値」の意味するものです。
厳密に言えば、その視点から気付くことが出来る価値といったところですか。
普段、僕らが欲求を満たそうとして選ぶものには、こういうのが一緒にくっついて付いてくるんですね。
そう考えるだけでも、自分の選択に関しての見方が変わった気がしませんか?
だとしたら、それも新しい視点の1つです。
求める価値と、選びうる選択肢。
つまり、ここまで長々と書いてきて、結局何が言いたかったのかを一言でまとめれば、
「自分の前にある選択肢を、無意識じゃなく、なるべく意識して選んでみませんか?」
ってことです。
上で色々お話した例を見てもらえればわかるように、僕らは自分の知っているものを固めてできた場所に立つことでしか、物事を観ることができません。
だから、
どのコンビニのご飯が美味しいかなんて、色々な店舗を比べてみないとわからないし、
ハンバーグの作り方や材料を知らなければ、味の良し悪しや値段くらいしか気にしないし、
本で学ぶことを経験したことがなければ、全てのページを理解できない日本語でびっしり埋めつくされた辞書のような分厚いハードブックに諭吉を払う理由が理解できないし、
自分で絵を描いたり木を彫ったことがなければそれらの作品がどうしてあれだけ高いのか、首をかしげるでしょう。
そういったことを理解するためには、調べたり、実際に自分でやってみるしかないんですが、それをやっていくと、自分の知るものが増え、結果として、自分の観ることが出来るものも増える。
観えるものが増えるってことは、自分の世界が変わるのと同義です。
何といいますか、つまるところ、これが「ワンコインで世界を変える方法」のネタばらしになります。
簡単ですよね。
でも、僕らがそういう生き物だということを知らずに、普段通り自分が無意識的に物事を選択していては、その視界に映るものは今の状態からさほど変化しない。
偶然に遭遇したものが、偶然によって浮かび上がってくるだけです。
ちょっと非効率じゃないですか。
いわゆる、運の良し悪しの錯覚になることもままあることですし。
こういう状態を避けるためには、自分が意識的に物事を選択していく必要があります。
得られるものは何なのか。
何が必要なのか。
自分の在り方に最適なものは何か。
もちろん、何を得られるのかどうかってのは、実際に自分でやってみないとわかりません。
予め予測できることには限界がありますし。
思わぬところで失敗したり、想像以上にすんなりいくこともあるでしょう。
それも自分の外側にあるものであり、獲得するものです。
そういったものを積み重ねることこそが、自分の世界を変える1つの術です。
そしてそれはたかだか500円でも、もちろん1円もかけずともできます。
生きているだけで、時間と労力を消費するわけですからね。
普段の散歩道や帰り道を変えてみるだけでも、何かしらの発見がある筈です。
何か変化するために大金が必要だということはありません。
ただ、自分の観えるものを変えていくことができさえすればいいんです。
僕はこのInitiumで自分の求める在り方へ近付くために、自分の持つ時間・お金・労力その他諸々の資源の使い方を考えようってことを提案してますが、今回の考え方もそれに関係しています。
こうやって自分の世界を広げることで、自分の求める在り方はより洗練されていくでしょうし、そのために何を選択すればいいのか、自分の持つ資源を何に費やせばいいのかも明確に見えてくる筈です。
だいぶ話が抽象的になってきましたが、そんな難しく考えなくても大丈夫ですよ。
「今から2時間あるけどどうしよう」
「財布の中に1000円入ってるけど、何に使おう」
そんなありふれた場面で、何が出来るのかを考えて、色んなことを実験してみて下さい。
簡単ですよね。
それに楽しいと思いませんか?
少なくとも同じことをぼんやりと繰り返すよりは、意識的にやったことないことをやったり、買ったこと無いものを買ったりする方が僕は面白いと思ってます。
当たりをひいた時には儲けもん。
変なものを引き当てたら笑い話にでもすればいい。
エジソンとまではいきませんが、そういう考え方でいれば、きっと求める在り方へ近づいていくはずです。
普段の小さな分岐路で、自分の求めるものを考えて、選択肢を広げ、得られる結果を意識してみる。
そんな思考実験を、ぜひぜひやってみてくださいな。
というわけで、今回のお話はこれでおしまい。
いつも通り長くなってしまいましたが、よりよい自分の使い方ができるようなきっかけが一片でも見つかれば幸いです。
ではまた次回お会いしましょう。
■追伸■
感想、質問などがありましたらこちらまで。
hollowcradle_hc◇gmail.com
※◇を@へ。
数が多い場合は個別にお返事することが出来ませんが、必ず読みますし、大事なところは内容に反映していきます。
何より嬉しいので記事を書くモチベが上がります。
また「あんた、いいこと言っとるやんけ」って方は記事をシェアしてくれると、より多くの人に読んでもらえるのでとてつもなく助かります。
気が向いた時には是非是非お願いします。
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