大半の人は自分の知っている視点からしか物事を判断することができません。
だから、カテゴライズすることに価値があるとすれば、他者から発見される切っ掛けを付与できることに限るんじゃないかな、と。
最近、ふとそんなことを思っている糸凪邑でございます。
本来、カテゴライズってのは知らない物事への認識を助けるものであるはずですが、それに依存して絶対化すると、その枠組みでしか物事を観ることができなくなります。
そして、それを知ったうえで、その枠を外して対象を観られる人だけが、新しいものに気付くことができます。
とはいえ、そうすることが出来る人は中々いない。
これが「大半の」とつけた理由です。
先入観に囚われず、それでいて一つ一つを0から観るような労力を割かないでいいような、そんなバランス感覚を身につけたいものです。
熱意の在り処
さて、今回の本題は
よくあると思うんですよ。
「よしやるぞ!!」って何か決めて、それをやろうとしても実際には行動せずに"ぷすん"と燃え尽きる以前に燃えもせずに終わっちゃうようなことが。
例えばダイエットや勉強など。
毎日腹筋してれば1ヶ月後にはスマートなお腹周りを手に入れられる・・・。
毎日単語を30個覚えれば、3ヶ月もすれば英語の小説をスラスラ読めるようになる・・・。
でもやらない。
そういった状況にあるとき、その理由と対処法について考えてみます。
3つの理由
そもそものお話になるのですが、人が行動を起こすのはその行動に「自分の進化(成長や進歩)」をもたらす価値を感じるからです。
言い換えれば、何かしらの良い変化を求めて人は行動するということ。
じゃあ、人が行動しない理由は「価値を感じていないから」だ、というと必ずしもそうじゃなくて。
「価値を感じているのにも関わらず行動できない」っていう場合が存在し、それは割と頻繁に遭遇する。
何とも不思議ですが、それは何故なのじゃろか、と。
僕はその理由としては主に3つほどあると思っていて、それは
- すべきことがわからない
- やる気の有無
- 足枷の存在
です。
すべきことがわからない
まず1つ目。
とりあえず、何を目標としても、そこへ至るために何をすべきかがわかっていないと何も出来ません。
行きたいところがあるのに、そこへ行くための道筋も、必要な道具も何もわからなくてはおろおろと立ちすくむだけ。
その状態で行動できないというのは当たり前です。
何処へ?も、どうやって?も、自分の中で自覚できてないんですから。
なので、まずは目標地点へ行くためにすべきことを考えましょう。
向かうべき場所は現在地点から測って何処にあるのか。
方角、距離はどうか。
どんな能力が必要か、どんな道具(物)が必要か。
自分一人で出来るものか、他人の協力が無くてはいけないのか。
どれくらいの時間がかかるのか。
etc...
そういった問いを自分の目指すところに当てはめて考えましょう。
紙とペンを用意して、StartとGoalを両極に書いて、その間を「問い」と「答え」で埋めていくのでもいいです。
大事なのは、限りなく明確にすること。
求めるもの(目標や結果)、現状、過程。
それらを言葉にして表現し、あとは実行するだけ、という状態にします。
そうしていくと、ぼんやり想うだけだったものが形を持ってきます。
現実味を帯びてくる、と言い換えてもいい。
普通、頭の中にあるぽっと出のイメージってのはぼやけすぎて現実の形を伴っていません。
僕らは「夢」として描いたものを「現実」で実現するわけですから、あくまで実現できる形式でなければならない。
何事も思い描くだけじゃ手に入りませんからね。
まずはイメージを明確にし、そのための術を考えるってことです。
やる気の有無
自分が求める場所も、そこへ行く術も明らかになった。
「じゃあ行こう」
として動こうとしても必ずそう出来るかというと、これまたそれに限らず。
その最たるものはきっとモチベーション、「やる気」の問題によるところが大きいでしょう。
2つ目はこの場合の対処法を考えます。
そもそも、やる気がない理由としてはどんなものがあるのでしょう。
僕個人の感覚としては
- 単なる怠慢
- 意志力の浪費
の2種類が主なんじゃないかな、と。
「単なる怠慢」については、まぁ人間ってのは安定した状態を望むものですから。
それを外れて違う状態へ移行すること自体に"だらけ"たくなるのは自然といえば自然です。
また、基本的には「やる気がないならやるな」というのは正論だと思うのですが、「こう在りたい」と思い描く自分に至る過程には「やりたくないこと(単純労働やひたすらな反復作業など)」が含まれることが多々あります。
というか、無い方が不自然と言った方がいいかもしれない。
だから、それらを面倒に思って動けないこともある。
「そんなことまでやる価値があるのか」という、変化しない自分を納得させる為の疑問も生まれたりする。
そうやって動かず、だらだらと寝そべって停滞。
僕もよくだらけちゃうんですよね。
「一生夢の中にいたい」とか時々思っちゃうタイプなんで、よくわかる。
「わざわざ動かなくてもいいじゃん、めんどい」とか。
ただ、理性としてはそうも言っていられない。
価値を感じ、そうすべきと思っているのですから、これは何とかせにゃいかんわけです。
そうした時に行動するために最も効果的だと思ってるのが、「とりあえず無心で始めてみる」という方法。
まず、だるいと思う心を無視するか、そういう心の中の自分を鈍器で殴打して、ちょっとばかし殺害します。
そして、理性によって身体をロボットのように動かします。
「すべきこと」を淡々とこなすように。
工場で行う流れ作業のように。
イメージとしては、自分の身体にアンテナを挿してラジコンみたいに動かすような感じ。
人間ってのは、ちょっとでも動いでいると惰性で動くものなんですよ。
どちらかというと、物理でいう慣性に近いかもしれない。
だから、最初の動作をやってしまえば途中でだらけていた自分が復活しても意外と問題ないんですよ。
だらけってのは最初の動作に対して働くことが多いですから。
さっき物理の例を出しましたけど、静止摩擦力みたいなもんです。
動くまでが大変だけど、動き始めたら大丈夫。
むしろ、蘇った"だらけ野郎"は動いている自分を見て「オレ出来てんじゃん!!」ってなる。
それどころか、調子づいて旗振りながら「進め〜」とか言い出すかもしれない。
そうなるためにはどうしても最初の一歩を踏み出す必要がある。
というか、それさえ出来れば後は動き出しただらけ野郎に任せればいい。
その最初の部分を動かすのが「無心でやってみる」ってことです。
「やる気がないのにやっても・・・」
って思うかもしれませんけど、やらないならいつまで経っても進行度0のままなんですよ。
それなら、だらだらでも毎回30ずつ進められる方がずっといい。
ましてや最初の一歩がぐだっても、始めたらなんやかんや良くなっていきます。
だから、とりあえず何も考えずに、ロボットを動かすように自分を動かしてみる。
やるべきことはわかってるんですから。
「だるいー」とか「何でやんないと駄目なの?」とかいう意見をほざく奴が自分の中にいたら、そっと鈍器を手にとって、殴打して、それからアンテナを挿して動かす。
これは根性論に見えるかもしれませんけど、根性論とはちょっと違いますよ。
根性論は心が辛い辛いと思っているものを気合で塗りつぶす、ある種の暴力ですからね。
後で話しますが、それは強靭な意志力による解決方法です。
こっちのはそうじゃなくて、最初の一歩を押し出してやって、後は勝手に動くように仕向ける方法です。
なので、とりあえずはあーだこーだいうやつを無視して、無心で動かしてやる、と。
次は、「意志力の浪費」。
意志力ってなんぞ?という疑問の詳細についてはまぁ、いつも通りGoogle先生にお伺い立てていただくとしまして。
端的に言えば、ゲームのMP(マジックポイント)みたいなもんです。
強い敵に出くわした時、通常攻撃だけじゃ勝てなくて、威力の高い魔法や必殺技を使わなけりゃいけない。
それだけじゃなく、時々回復してあげたり、自分の防御力を上げたりしてやんないといけない。
その度に消費していくものがMPですが、それと似たような感覚です。
やりたくないようなこと、内面的・外面的問わず、何らかの苦痛を伴うものを行うために必要な意志の力、それが"意志力"と呼ばれるものです。
要するに、すっごく大雑把に言えば気合ですね。
気合ってのは、1日じゅう入れ続けることは非常に困難です。
むしろ、そういった努力・鍛錬をしてきた人じゃないとそんな長時間はできないかもしれない。
まして、普通の人の意志力なんてたかがしれています。
でも、誰であっても、そういった意志力は日常生活の中でも消費されていきます。
例を上げれば、何かを思考して決断するためにも意志力を使います。
食事をその一例とすれば、あれも食べたい、これも食べたいと考えたことから1つ選ぶということは、その他を選ばないってことですし。
レストランの注文で疲れたりするのもそういうものでしょう。
それと、ストレスを感じる何かしらの状況にあっても消費されます。
ストレスを我慢するってのはある種の決断の1つです。
回避するのではなく、そこに留まってダメージを受け続けることを選ぶわけですから。
相当消耗してしまうのは創造に固くないですね。
こんな風に、意志力ってのは至るところで消費されていきます。
ということはですよ。
そうやってちまちま意志力を使っている状態で、すべきことと向き合ってこなすことなんて出来るでしょうか?
なかなかに難しそうですよね。
きっと、打倒すべきボスの前でMP切れになって、戦うまでもなく出直すことになるでしょう。
そうならずに何かを為すためには、意志力の浪費を可能な限り抑えないといけない。
だから、ストレスとなるものは限りなく排除すべきだし、日々のそれほど重要でない決断は少なくすべきです。
例えば、毎日食べるものや服装を固定したり、1週間や1ヶ月単位でルーティン化したりする。
そうすることで決断に割く意志力は節約できますよね。
ストレスに関して言えば、表面的なものに限らず、知らず知らず蝕まれることもままあります。
自分の身の回りの物理的な環境がごちゃごちゃしている場合でも、じわじわダメージを受けていたり。
あとは、意味もなくだらだらと"惰性で続けてしまう"行為もその原因となります。
楽しくもないのに続けるゲームや動画視聴もその一例。
目的や目標があり、自分にプラスになるならいいです。
見ているだけで元気になるとかでも、充分そうする価値はあると思います。
でも、単に惰性でやってしまっているのであれば、意志力は削がれている可能性があります。
心の奥底では退屈と感じていて、その穴埋めとしての行為でやるように。
時として虚しさを覚えたりすることがある。
その継続は心に疲弊をもたらしますよね。
一定以上積もった時、「なんか最近だるいな〜」とか、「退屈だな〜」って思い始めることがあるように。
今、「心の疲弊」と言いましたが、そういった状態をもたらすものは全て「意志力を使っているもの」だと考えてもらえばよろしいかと。
だから、そういう心の疲弊することを自覚し、積極的に減らして、浮いた分を自分の中の優先順位の高いものに回せるように意識してみましょう。
足枷の存在
「やる気がないから出来ない」があれば、お次は「やる気があっても出来ない」が来るわけで。
それが3つ目です。
普通に考えれば、
すべきことが明確になっていて・・・
やる気もある・・・
なら出来ないわけがないじゃないか、と思いますが、必ずしもそうなるわけじゃないですよね。
何かしらの原因があって、自分が動けないことがある。
それは例えば人間関係。
立ちはだかるのは自分の心の問題だけじゃなくて、他人が問題となる時もあります。
そういったものが自分を縛る「足枷」です。
じゃあ、そういうのはどうすりゃいいの?と。
そんなものは説得するか、排除するか、そう出来なければ自分がそこから離れるしかありません。
いや、本当に。
こればかりは自分だけの問題ではなく、他者との関係性の問題ですからね。
優先すべきが自分の目的であるならば、共存するための説得か、共存不可と判断しての撤退しかない。
めんどうくさいけど、「ニンゲンダモノ」。
ただ、「説得」も「排除」も向き合って対立するようなことなので、これまた意志力をごっそり持ってかれますから、現在の立ち位置がそれに釣り合うのであれば、後者の「撤退」が無難です。
大事なのは、「そこ」でなければ為せないことなのか?
「別に・・・」と思うのであれば、自分を無駄遣いする前にさっさと別の居場所を見つけましょう。
きっと、辿り着いた場所で有り余るやる気が綺麗な炎を灯してくれるはずです。
まとめ
以上、行動に移せない時についてのお話でした。
簡潔にまとめると、
■行動できないのは主にこの3つの理由がある。
- すべきことがわからない
- やる気の有無
- 足枷の存在
■すべきことがわからない場合は、まずそれを可能な限り明確に、あとは1つずつこなすだけでいいってところまで具体的にする。
■やる気がない場合は、だらけた自分を撲殺した後、ロボットみたいに自分を動かす(=無心で始める)。
■あるいは、心の疲弊を減らすことで、意志力の浪費を抑えし、費やすべきところへ適切な配分できるようにする。
■やる気があっても動けない場合は、足枷となるものがあるはずなので、それを丁寧に外すか、強引にぶっ壊しておさらばする。
さて、どうでしたでしょうか?
全ての物事には原因がありますから、こういうことにも何らかの理由があるんですよ。
だから、問題となるものと遭遇したら、ちょっと考えてみて下さい。
何故出来ないのか、何か足りないのか、etc...
と。
そうすればきっと観えてくるものがありますから。
まぁ、それで自分の怠惰さが原因だとわかったら、まずぶん殴りましょう。
そして何も考えずにガチャガチャと操作しましょう。
気分屋の自分が蘇ってきて、調子づくまでね。
じゃあ、今回はこんな感じで。
猛暑で溶けたり炭化して無ければまた次回お会いしましょう。
追伸
質問、感想などございましたら、是非教えてくださいまし。
その際の連絡はコメント欄、またはこちらまで。
hollowcradle_hc◇gmail.com
何かしらのお悩みやご要望なども同様に送ってきてくださいな。
時間的な都合で個別にお返事することは難しいと思いますが、全部目を通しますし、記事に出来ることは記事にしていきます。
何より嬉しいので記事を書くモチベが上がります。
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僕の感謝にいか程の価値があるかは存じ上げませんが、とてつもなく感謝いたします。
気が向いた時にでもぜひ。
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