「やりたいことが無い」の解決策




最近、人と話していてとあるフレーズを聞くことが多い。

「やりたいことが無い」

"現代人の特徴"として語られているやつです。

こういう話題が出る度に「楽しいって思うこととか、充足感の有ることをやりゃいいんじゃない?」

とかそういうことを返していますが、返された相手がその後何かを見つけて面白おかしくやれるようになった結果は今のところ出ておりません。

どうやら「やりたいことが無い」っていう問題に対しての答えじゃなかったようです。

もしかしたら「当たり障りのないこと言いやがって」と感じて参考にされていない線もあるかもしれません。
僕自身は割と真面目に答えているつもりなんですがね。

まぁ真実はさておき。

これからもそういう"ぼやき"と遭遇することはありそうなので、この機に改めて考えてみます。



「やりたいことが無い」の底に沈むもの

まずは前提の擦り合わせ。
「やりたいことが無い」ってどういう意味なのかについて。

そもそも「やりたいこと」って何でしょう?

僕は生き物である限り「欲求が無い」は有り得ないと思ってます。
本能というものは欲求を生み出し続けるので。

それは一般人であれ、聖人君子であれ同じこと。
彼らは欲求を理性が凌駕していることが多いだけであって、欲求が無いわけじゃありません。

てなわけで、この「やりたいこと」は本能的に「やってみたいこと=経験」ではないはず。

そうでなければ、美味しいものを食べたいとか恋人が欲しい、世界一周したい、誰々のライブに行きたい、その他諸々な願望はあるでしょうから。

となると、この「やりたいこと」は「やってみたいこと」ではなく「やり続けたいこと」や「目標」となるもの。

熱中できるもの、
人生を費やしていく価値のあるもの、
それをやって食って行きたいと思えるもの、
到達したいと願う目標・・・

色々言い方はありますが、それっぽい言葉を使うなら「人生の目標」や「理想の在り方」といったところ。

これが「やりたいこと」の指すものなのかな、と。


では「やりたいことが無い」という発言の根底にあるものは何なのでしょう?

行動には何かしらの原因や理由となるものがあります。
何か求める結果を期待できるからこそ行動するわけで、となるとこの発言にも意図があります。

言うまでもないですが「やりたいことが欲しい」あるいは「やりたいことを見つけたい」という願望がそれでしょう。

もしかしたら「やりたいことも無い可哀想なヤツなんだよ、哀れんでよ、同情してよ、ていうかお前もだろ?」的なものが求めるものなのかもしれませんけれど、そんな病んだ感じのものはお断りですので今回は見なかったことにします。

では、「やりたいことが無い」が「やりたいことが欲しい」という欲求からくるものとすると、何故「やりたいこと」を求めるのでしょう?

やりたいことがあれば何が変わるのか。

もしかするとそれは永久機関になりうる?
はたまたドラえも◯に出てくるグルメテーブルかけのような機能がついている・・・?

んな馬鹿な。

まともに考えればそんなものは1カロリーにもなりませんし、同様に性欲も睡眠欲も満たせないでしょうから、世界における生存というものがその理由では無いと思います。

とすると、肉体的なメリットではなく、精神的なメリット。


思うに「心の充足」ではなかろうかと。

とある人いわく、欲求ってのは段階に分かれていて、どんどん高次の階層の充足を求めるものなんだとか。

その段階の内容は、

衣食住などの生理の欲求に始まり、
安全性や経済性、健康や暮らしの水準上昇などの安全の欲求、
社会に必要とされている状態を求める社会欲求と愛の欲求、
その上に承認(または尊敬)の欲求、
そして自己実現の欲求、
最後は自己超越の欲求、

と、最期らへんは言葉からふわっと感がにじみ出てきますが、まぁお気にせず。

この段階説に関しては諸説ありますが、感覚的に大まかな枠としては合ってると思ってます。

極限まで腹減ってふらついてる時に「あー、人から必要とされたいわー」とか思いませんからね。
欲求が肉体的なものから精神的な段階へ続いているという一面は納得できるかな、と。

気になる方はアブラハム・マズローというワードを携えてGoogleへごー。


ともあれ、この段階説を参考にしてみれば、「肉体的な充足」を満たした人が次に求めるのは「精神的充足」となります。

であれば、「やりたいことを欲する」のは「心の充足」を欲するからなのではないでしょうか。
実際に、そう在る人は満たされている印象がありますよね。

マイクを向けられて、

「毎日が忙しくて目が回りそうですけど、最高に楽しいです!!(キラッ)」

としてるような。

これは持論、というか感覚に近いものなのですが「人って常に理想とする在り方を求めている」と思うんですよね。

だから、誰かを見て「こう在りたい!!」と直感的に求めてしまうことが起きうるんじゃないかなって。

僕の感覚としては、この場合もそれに近い。

「やりたいことをやれている人が満たされている(ように思える)。だから自分もそう在りたい(=やりたいことが欲しい)」

と。


これらをまとめると「やりたいことが無い」という発言の根底にあるのは、
「満たされたい」という欲求と「やりたいことをやれていないのだから満たされないんだ」という理屈なのではなかろうかと。



じゃあ、これが「やりたいことが無い」という発言の理由だとして。
そう言われた時にどんなことを返すべきなのか。

そんなもん決まってます。

「探せばいい」

これしか無いでしょう。

そもそも「理想の在り方」や「人生の目標」みたいなものを求めているのにそれが無いっていうのは「選びたい選択肢はあるけど選べない」「選びたい選択肢が手元に無い」かのどっちかです。

前者は経済的、人間関係、物理的、能力的な問題その他諸々の事情で「出来ない」or「出来ないと思っている」状態。
後者は現時点で自分が取りうる選択肢の中には心から求めるものが無いっていう状態です。

「選びたい選択肢はあるけど選べない」は一様な解決策があるわけじゃなく、解決できないものもあります。
この場合はまず解決できるか否かを考え、出来るのであれば次にその術を考えることが必要です。
ただ、解決できない場合は諦めるしかありません。
出来ないことをあーだこーだ言ってても何にもなりませんし。
同情とか憐憫とかを折り込んでも、結論としてはどうしようもない。
出来ないものは出来ない。

とはいえ、この場合は「やりたいこと」自体は持っているわけだから、その点では「やりたいことが無い」ではない。
あるけど無理、または無理と思っているだけ。

でも、「選びたい選択肢が手元にない」という場合。
これは文字通り、自分の選びうる選択肢目の中に満足できるものがないというだけ。
だとすれば解決策は1つ。

探すしかない

今の自分に選べる選択肢の中にそれが見つからないから「やりたいことが無い」と言っているわけで。
求めるものがないなら、選択肢の数を増やせばいい。

つまり、「探す」っていうのは「選択肢を増やす」ということ

探しもせずに「やりたいことが無い」って言っても、それがやってくるわけがないんですよ。
部屋の中にしたいことが無い時、引きこもっていても出来ることは部屋の中にあるものだけ。
その状態で「素敵な出来事」が部屋に舞い込んで来ることなんてそうそうありません。
あるとすれば運命に愛された人だけ。
もし自分が運命の女神様の寵愛を受けていると確信が出来るのであれば、部屋の隅で体操座りでもして待っていればいいでしょう。
でも、自分が女神様と無縁だと思うのであれば、部屋を開けて外を見て回るしか無い。

普段通らない道、
手にしない本、
調べたことのないキーワード、
入ったことのない店、
食べたことのないもの...

そういった「自分の外にあるもの」に触れて、自分の知る世界を広げていくしかない。

選びたいものが見つかるまで。
言葉遊びが根性論みたいですが、「見つかるまで探せば見つかる」んですよ。


というわけで、もしそんなお悩み相談を受けた時には「黙って探せ」という一言を進呈して差し上げることにしました。

皆様も同様のシチュエーションに陥って返答に困った際には、そう返してみましょう。

仮に相手が「何言ってんだこいつ」という顔をしてきても、間違ってはいないと思うので堂々とサムズアップすれば問題無し。

これにて一見落着ですね。



今回はこんな感じで。
また次回お会いしましょう。

では・・・。





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