リスクのつまみ食い





先日、別のブログでこんな記事を書きました。

「やりたいことが無い」の解決策
http://kairandou.blogspot.com/2017/12/blog-post_4.html

中身は「やりたいことが無い」っていう悩みは何処からくるものなのか、それを解決するにはどうすりゃいいのかについての好き勝手な考察です。

僕としては、この記事内で「やりたいことを見つけたいならこうすりゃいいよー」ってのを真面目に書いたつもりですし、実際にそうすれば根本的な部分では解決できると思ってます。

思ってはいますけど、見つけられたから即行動できるかというと、何故かそうとは限らないわけで。

もちろん、思い立ったら即行動で突っ走れる人もいるけれど、「これやりたいなー・・・」が続くだけで行動を伴わない人もいる。

「見つかったならさっさとやりゃいいのに」と思いはするんだけど、その状態には僕も覚えがあるから深くは突っ込みません。

でも、覚えがあるってことはその一因に思い当たるフシがあるってことで。
今回は自分なりの解決策みたいなものを書いてみようかと。



泥まみれで傷だらけの妄想

解決策って言っても、まず問題を把握しないと意味がありません。
そもそも何で「やりたいことを見つけたのに行動に起こせない」のか。

結論を先に言ってしまえば「結果のために全力過ぎる」んですよ。

他にも行動できない原因として思い当たるのは色々ありますけど、一番多いのはたぶんこれです。



一般的に「やりたいこと」ってのは「目標や夢」を差しますが、「目標や夢」へ向けて進むことは「山を登る」ことに例えられます。
「目標を達成するのは、一歩々々山を登って行くことなんだよ」とか。
だから、「やりたいことをやれない」ってのは、登る山や目標地点を決めてるのに登り始めてすら無い状態です。


これは夢や目標に限らず、新しく始める趣味なんかにも言えますが、人は何かしらやりたいことを見つける(登る山を決める)と、2通りに分かれます。

1つめは、とりあえず山への入り口だけ調べて、いきなり登り始める人
2つめは、目標地点へ至るまでの道を調べ、そこに辿り着くまでに必要なものを全て準備して登ろうとする人


1は"行動"という点では問題無いですね。
既に登り始めているわけですから。
途中で準備不足や能力不足が原因で立ち止まったり、目指すべき場所が何処かわからなくなって道に迷ったりすることはありますが、その都度あーだこーだ試行錯誤しながら登り続けます。
もちろん、心が折れて下山する人もいますけど。

どちらにせよ、最初の行動っていう点はクリア出来ているわけです。


問題となるのは2番。

目標を定めるだけ定めて行動できないって人はこちら。
「頭が良い人には行動できない人が多い」というのはよく言われますけど、これです。
ここでいう「頭が良い人」は、「予め予測が出来る人」の意味。
何か実際にやる前に「こういうことやこういうことが起こりそうだな」ってのを予想出来る人です。

そういう人は、その道筋を感覚的にざっと測って、見舞われるであろう苦労を思い描いて「あーきつそうだなー 今は無理かな―」って思って立ち止まります。
「その内やる気が出たらまとめて準備して一気に登ろうかな」って思うんですが、そんな凄まじいやる気なんて出るわけもなく。
結果としていつまでも動きません。
だって、自分の中にあるのは辛く苦しいであろう道程だけですからね。


つまるところ、結果を得るために被るデメリットばかり見て、メリットがあるかもっていう発想をしていないんですよ。

何でデメリットしか見えないのかっていうと、その人が求めているのはあくまで結果だから。
目標となる到達点しか見てないんです。

先ほどの2つの分類に補足をすると、過程に興味を感じてそれを欲する場合は1の行動をとり、結果を欲する場合は2の行動をとります。

2の人は登ることに対して興味があるんじゃなくて、登った先にあるものにのみ興味がある。
登る過程で出会うものとか、登ること自体の楽しさみたいなものを見てないんですよ。
だから、登ること自体は苦痛でしかない。


いわゆる"成功者"達は「好きなことをやれ」って言いますが、それはこういうことです。
彼らのいう「好きなことをやれ」は「欲しい結果を目指せ」じゃなくて、「登るのが楽しいと思える山を登れ」と言う意味。
登る行為を楽しめないならやらない方がいいってこと。
理想を言えば、「やってて楽しくて、その先に求めるものがあるものをやれ」、あるいは「やってて楽しいことの先に目標を見い出せ」。
まず過程の段階で自分が満たされる道を選び、できればその先に求める結果があるのであれば尚良しということで、最初から結果だけを求めろっていう人は少数派です。


そもそも険しいだけの山を登りたい人なんて滅多にいませんよ。
そんなの修験者とかどこぞの部族の戦士みたいに、何かしらの目的で自分を追い込む必要がある人だけでしょう。
できれば登ってて楽しい山を登りたいと思うのは至って普通のことです。
だから、まずは登ろうとする山が"自分にとって"楽しい山なのかどうかを確かめること。


そのためには、全力の準備なんて不要です。
ちょっと入ってうろつけるくらいの軽装で充分。

結果を得るための環境を完璧に用意するんじゃなくて、ちょっと体験入部な気分でお試し出来る程度の環境を準備して、実際にやってみる。

つまり、「小さく始める」ということ。
最小限の環境を整えて小さく始めてみて、もし楽しいって思えるのであれば、必要に応じて徐々に資源を投入していけばいい。
最初から全力でやる必要なんてありません。
そして「ある山を登ると決めたからにはその山しか登っちゃいけない」なんてことはないし、他のところに居を構えたまま、つまみ食いしにくる感じでもいい。
間違っても、元いた山で作った拠点を潰したり、そこを登るための装備を捨てる必要なんて無いんです。

とりあえず小さく始めて、仮に楽しくなかったらすぐにやめればいい。
"楽しめるか否か?"にも向き不向きの適正は存在しますから。

でも、全力で資源を投じて登り切るまでに必要な環境を整えてしまうと、やめるにやめられない。
それを揃えるまでに費やしたしたお金や労力が無駄になってしまうわけですから。
もちろん、そこで自分を奮い立たせて「やるしかない」と思って継続できる人もいるけど、それはかなり少ない。
背水の陣で敗北して川に落とされる人なんて幾らでもいます。
心が拒絶することをやり続けると心が折れますからね。
先のデメリットを考えてしまう人にとってはこういう心の枷も問題になりえてしまう。


「結果のために全力過ぎる」っていうのはこういうことです。

別にデメリットを考えることは悪いことじゃありません。
むしろ良いことです。
起きそうなことが予測できれば、それを回避することもできますし、「これから何かぶつかるかも」ってわかっていれば心構えぐらいはできるでしょう。
無防備な状態で出くわすよりはずっとダメージが少ないはず。
ヘタすれば取り返しのつかないことになってしまいますから。

大事なのは「そこだけ見ていては何も出来ない」ということ。
そういうマイナス面も踏まえて実際にやってみて、メリットとデメリットの秤がどちらにどれくらい傾くのか、続ける価値があるのか、それを確かめることが最も大事です。

だから、もし違うところを登ろうとしてるのに動けないなら、とりあえず「小さく始める」。
小さく始め、その山を登るのが楽しいのかどうか実際に確かめてみたらよろしいかと。
リスクの面でも、精神的な障壁の面でも、これが最も簡単で現実的な方法だと思いますよ。


以上、「やりたいことを行動に移せない時の解決法」でした。

ではまた次回。





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