球体関節人形の3Dモデリングに関するメモ

ちょっと前にこちらの3DモデルをBOOTHで公開しました。

・3Dモデル「人形0」 - HollowCradle - BOOTH
https://hollowcradle.booth.pm/items/1642975

いわゆる球体関節人形的あれです。

今回は球体関節人形をモデリングしてみて、自分なりに考えたことのメモです。
そういったものを好む同士の方の助けとなれば幸い。

球体関節人形そのものに関する資料はこちらの記事をご覧いただければ、と。
・球体関節人形について調べてみたメモ
https://kairandou.blogspot.com/2020/01/blog-post.html


球体関節人形の構造
球体関節人形とは文字通り球体状の関節を持つ人形。
人間における関節部分が全て「球体関節」と呼ばれるものとなっている。
(ここでは人間以外の球体関節人形については触れず、人間を模した球体関節人形についてのみ考える)

球体関節人形の構造には色んな種類があるけれど、イメージとしてはこんな感じ。
(出典:球体関節人形の設計図 | 球体関節人形、人形の作り方、球体関節
https://www.pinterest.jp/pin/547820742148850569/)

ここで必要なのはあくまで3Dモデルの制作に必要な構造であり、現実で作る場合に用いる内部の複雑な構造は省略する。
詳細はこちらの記事内にリンクを置いておいたたので、そちらをご覧のこと。

・球体関節人形について調べてみたメモ
https://kairandou.blogspot.com/2020/01/blog-post.html


図の関節部分も含め、球体関節人形で使いそうな関節部分はこのあたり。
  1. 首(頭部側)
  2. 首(胴体側)
  3. 手首
  4. 手指
  5. 腰(胸部と腹部の間)
  6. 股関節
  7. 足首
  8. 足指

場合に応じて必要ない部分は削る(足指の関節など)。
球体関節人形はこれらの球体関節の部分でしか動かない=関節部分での動作は可能。

ボーンを埋め込んで動かす際は基本的に球体関節の中心に基点を置いておけば問題ないと思われる。



トポロジーと描画コスト
メッシュ数と独立したメッシュ数の削減について。
単にそれっぽいものを作るのであれば、上でも書いたように内部構造は手間なので省略し、手足胴体頭部その他パーツと、それらを繋ぐ球体を用意して配置すればいい。
ただ、球体関節人形的な構造にはちょっとした問題がある。

それは「メッシュ数」と「独立したメッシュ」の増加。

まずメッシュ数に関して。
以前BOOTHにアップしたこちらのモデルのメッシュ数は△10000程度。
それほど滑らかな形状ではなくても、球体を多用するという性質上どうしてもメッシュ数が増える。

加えて、上記の関節部分をもとにそのままデルを作ると、独立したメッシュの塊が100以上必要になる。
そうした構造のモデルを1体だけ使うのなら問題ないけれど、これを大量に複製して使う場合は相応の描画コストがかかる。
できれば削りたいところ。

では、どこを削るか、と。
球体関節人形は基本的に隠れている部分=球体関節部分と接しているところが無駄になる。
この部分は結合しても問題ないので削減が可能。

構造パターンとしてはこんな感じ。
上記はサンプルとして作った指の3Dモデル。
見た目的には全部同じだけど、それぞれ関節部分が異なる構造になっている。

左はそのまま作ったもの。
中央は球体関節と接する片方を一組のペアとして作ったもの。
右は球体関節と接する両側を全て接合したもの。

メッシュ数、及び独立したメッシュの数は左 > 中 > 右。

接合するデメリットとしては、使い回しがききにくくなることや動きの自由度が無くなることが挙げられる。

上記のモデルは構造がわかりやすいように接合部を大きく作ってあるけれど、仮に小さく作ったとしても、接合部分が増えれば増えるだけ可動域は減る。
球体関節の中心を基点として動かす場合、左と中央のはほぼ同じように動かせるけど、右のモデルはその2つよりかなり可動域が狭くなる。

また、普通の動作ではなく、分解や破壊などがの動きが必要であれば、それに応じて独立したメッシュ構造が必要。

多数複製するのでなければこのあたりは考えなくていいけれど、用途に応じてその都度考えるべきところだと思われる。



人形らしさ
これはリアリティに関する感覚の問題。
質感ではなくどういう原理で動き、どのような動作まで可能とすべきなのかという部分。

我々がAをAとして認識できるのは、Aという存在として許容できる範囲に収まっているから。
Aの範囲を超えると違和感が生じ、それが許容量を超えると、AはAとして認識されなくなる。
人形として認識されるためには、人形を人形たらしめる範囲を逸脱しないよう、見極めが必要。

基本的に人形はロボットではなく、ファンタジーの分野。
動かすのは(動くのは)ファンタジー的な力。
ただ、ファンタジーとはいえ、際限なく生物的に(人間的に)してしまっていいのか。

当たり前だけど、生物的になればなるほど、人形らしさは消えていく。
つまり、人形の持つ非生物的な美しさや、非生物でありながら同時に生物にも見える、ある種の不気味さなどの感覚は薄れる。

ファンタジーであっても動いていいところと動いてはならないところはあるはず。
人形と人間の境界線。
言葉にするならば「物として動かせるもの」か「生き物のように動けるもの」なのか。

上記「球体関節人形の構造」でも書いたように、関節部分での動作は可能。
例えば霊や魂的なものが宿ってそれを動かすとして、動かせる部分を動かすのは何となく納得できる。
しかし、動かせないはずの部分を動かせるのはどうなのか。

例えば表情。
球体関節人形の素材は粘土やビスク(素焼き磁気)などの「硬いもの」。
これらが表情を作るとは思えない。

つまり、この質感のものが動くことは人形感を薄れさせる。
人工筋肉とギアによって筋肉が動く構造の場合は動いても問題ない。
ただ、それは人形というよりはロボットやアンドロイド、人形に見えるけれど人形でない別の何かとなる。

このように、表情などの「動かない(動かせない)はず」の部分が動くことは、境界線を人間寄り=生物寄りに踏み越えてしまう。
人形という認識が必要な場合は表情を動かさない方がよいのではないか。

顔の筋肉の他に考えるべき部位として、眼球がある。
こちらは表情の変化よりは違和感がない。
構造的にも動くことに問題ないし、感覚としても、どちらかといえば「動きそうな部分」。

個人的には人形の眼球は動かしても人形の領域を逸脱しないと思われる。
(もちろん個人差はあり)

もし眼球を動かしたくない場合は、顔ごとそちらを向くようにすれば、より人形っぽくなりそうではある。
「眼球くらいは大丈夫」or「眼球さえも動かすべきではない」か。

そもそも自分が目指すのは「動く人形」なのか、「動くヒトガタ」なのか。
それにはどの程度の人形度と人間度が必要かを一般的な認識とすり合わせながら考える必要がある。



おしまい。

コメント